阿漕の郷愁風景

津市阿漕町他<城下町・港町> 地図
 町並度 6 非俗化度 7 −古くは近隣有数の港町であった−

         

 阿漕町は津市街地の南東部、市街の一区画を形成し紀勢本線の駅も設置されている。
 中世には阿古木とも書かれ、また阿漕浦という呼び名が一般的だったように主要な港町であった。
八幡町の町並


八幡町の町並




阿漕町津興・阿漕町津の町並




阿漕町津興・阿漕町津の町並


 
 もともとこの付近の海岸は伊勢宮に納める魚介類を得る漁域であり、一般の漁民による漁は禁じられていた。しかし密漁をする者も絶えず、謡曲「阿漕」による知名度もあり、図々しいさま、度重なるさまといった意味で用いられた。「阿漕な真似」「阿漕な商売」といった慣用句はここの地名が由来となっている。
 江戸時代は津城下の一部に編入されたことが様々な記録から明らかになっている。宝暦元(1751)年の津城下町名書上にも阿漕町の記述が見え、役人などの割当ても他の城下町同様に配分されている。阿漕町は津城下から伊勢宮に向う街道が町を貫き、賑やかな街道だったらしく古くから町場化され、その南に続く八幡町も賑わいを示していた。
 町並の景観は非常に特徴的で、それはここの町家が、二階部分が後に控えた構造となっておらず、一階から二階部分まが直線的に立ち上がったような外観を呈しているからだろう。二階の立ちあがりが高いこともその特徴を際立たせているように感じた。平入り切妻で統一されたその妻部には袖壁が見られるが、先に書いたような直線的な立ちあがりのため、その幅は極めて狭く細長い。それらの特徴は南側の八幡町ではやや淡いが、阿漕町では際立っている。そして両町とも、軒先には木製の幕板が見られた。出格子が美しく保たれている家々も多い。
 古い町家の連続性も阿漕町を中心として高い。際立って重厚な商家建築があるわけではないが、古い町並として保存する価値は十分に見出せる。
 岩田川河口の南側は白砂青松の景勝地で、松林も一時は勢いを失っていたそうだが、最近NPO法人などにより再生活動が行われているという。もともとは港町に由来するというこの町並を歩くと、確かに心なしか海の匂いがするようだった。
 


訪問日:2010.10.11 TOP 町並INDEX