徳島県阿南市 【漁村】地図 町並度 7 非俗化度 7 −独特の木造家屋が密集する漁村 水軍の根拠地でもあった− |
阿南市椿泊は市の南端、紀伊水道に突出した半島の南岸にへばりつくように集落が細長く伸びている。古くは椿村と呼ばれたらしいが、半島付根付近の農村と区別され江戸期には椿泊浦と呼ばれた。現在でも地名として残り、地元では泊と呼ばれている。 後背地は険しい山地で陸路が取りにくく、また深い湾の入口という立地から海上交通の要所として歴史が深い。 この町の知名度を押し上げているのは阿波水軍の拠点であった歴史だろう。付近の海は太平洋上から畿内方面に向う幹線航路でもあり、一方で暗礁が複雑に存在しており海難事故も多発する海域であった。水軍が拠点を構えるに適した場所だったといえよう。軍の総帥であった森氏は3000石の知行地をここに与えられ、参勤交代時の船運その他徳島藩の公事をつかさどった。歴代藩主も風光に恵まれたこの地に釣や保養の目的で度々訪ねた記録があり、その折には森家が泊地に指定された。 |
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漁村の家並は狭い路地に沿い細長く連なっている | |
凝った手摺の意匠が印象的である |
一部には三階建のものも見られる |
職業としては、平地がほとんどない地形のためほぼ漁業に特化し、特に明治の頃からは遠洋漁業が盛んに行われた。生粋の漁村として息づく町である。 町並の展開も漁村らしく、海岸線に沿った狭い路地に家々が密集する。この路地はしかし町の唯一の幹線道路でもあるため、自家用車の往来も少なくない。もともと車の通行は考慮されているはずはなく、通るだけでもやっとという幅の箇所がほとんどで、対向車との離合は困難である。実は以前一度この町並の探訪を計画したのだが、この余りにも狭い路地に車を突っ込んでしまったため、抜け出すことしか考えず引返してしまった。場所を間違えたとばかり思ったのである。今回ようやく詳細に訪ねることが出来た。 海岸線に沿い長々と連なる路地は直線部分が少なく、時折直角に折れる箇所もあり見通しが利かない。その分だけ家並の展開に期待感を抱かせる。そして構成する家々も独特の外観を示している。一番の特徴は木質感が高く、精緻な彫刻を施した手摺や欄干が一階部・二階部問わず見られることだ。建物自体は簡素なつくりであるのに、芸術品級ともいえるそれらの細工物が非常に特異に映る。これらは遠洋漁業で潤った漁家が、競うようにこしらえたものだと言われ、意匠は各家毎に異なり同じものは無いといわれる。敷地が限られた土地であるため、こうした外装に凝り、見栄を張っていたのかもしれない。現在に至って、町並の雰囲気を一層高める結果になっている。この意匠は建築的にも注目されているのだという。 新しい家は極めて少なく、漁家が密集するその規模も大きく、路地が現在でも町の幹線道路となっているため地元の人々の姿を眼にする機会も多い。生活感も強く感じることができる。このような漁村は全国的にも少なく貴重なものである。何時までもこのまま残ってほしい町並である。 |
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訪問日:2007.08.14 | TOP | 町並INDEX |
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