国道は宿場街を通らなかったため、旧宿場街はひっそりとし、昼間は人の姿すらほとんど眼にしない。しかしながら街路幅は車がすれ違うに余りあるほどの広いものであり、脇街道らしからぬ幅員を有している。宿場町当時、街路の中央に水路が引かれていたとのことで、そのためと思われる。
水路を挟んで北側が出雲街道の本線で、一方南側は地元の人々の通る道と厳然と区別されていて、また水際には柳が植えられていたという。少しがらんとした印象の現在の町並の風情とは全く異なる賑わいと潤いに満ちた光景がそこに展開されていたのだろう。
現在残っている伝統的建築は漆喰塗立てで、2階両端には袖壁が設けられている。1階部分はサッシに改造されたものが多く、現存の度合いは必ずしも高くない。1995年には整備事業が入り案内板が立てられていたりしているが、抜本的なものではなく家々はその旧態をそのまま保っている。国道沿いに出雲街道坪井宿と立て看板があるものの、多くのドライバーは知らぬ間に国道を通りすぎて行くだけの町である。
しかし、伝統的建造物群という仰々しいものでなく、普段着の中に宿場の雰囲気を嗅ぎ取ることができればそれでよいのである。家々は玄関先に小さな花壇を作っていたり、干柿を吊るしていたりと、こざっぱりした町並であった。
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