土浦の郷愁風景

茨城県土浦市【城下町・宿場町】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 5 −霞ヶ浦水運と水戸街道の往来により発達した城下町−
 




中央1丁目の町並


 土浦市は茨城県南部の中心都市、また首都圏の外縁部にも位置する。そのため市街地の様相は近代的で歴史を感じさせるものは少ないというのが一般にイメージされるところだろう。
 しかし駅前にほど近いところから土蔵の姿が目立ち、旧水戸街道に沿って伝統的な商家の連なる一角もある。
 市街地の東はすぐ霞ヶ浦に接していることが地図を見るとわかる。湖面が内陸に入り込んだ位置にあり、古くから港が開かれていたようで、古代の記録にも大津などの地名がこの付近に見られる。利根川・江戸川を経由して江戸市中に舟運で直結できたため、霞ヶ浦の存在は物資輸送に非常に重宝した。特に、産業として発達した醤油醸造は、周囲の豊かな土壌で良質な大豆が生産可能だったこととともに、霞ヶ浦水運により江戸への出荷が容易だったことが大きかった。




中央1丁目の町並





 
 街の基盤は中世からの城を中心としている。江戸期になって土浦に入った土屋氏が、4万5千石を与えられて城主となってから本格的な城下町の造成が行われている。霞ヶ浦にも通じる濠を幾重にも巡らした城は水に浮く亀のようだったといわれ、亀城という異名でも呼ばれていた。
 また、城下には旧水戸街道が引込まれ、宿場町が形成されていた。二つの町に分けられそれぞれに名主が置かれており、また参勤交代時等に大名が宿泊する本陣も具備されていた。
 伝統的な建物の密度の濃いのは旧水戸街道沿いの中城通りで、商家の建物、土蔵などを仲立とし、外来者を意識した色が濃厚に感じられる。しかしそれらは地味なもので素材が十分に生かされ、そのお蔭で古い町並景観に活力が感じられる。
 街道沿いを外れても密度こそ薄くなるものの随所に土蔵や町家建築などの姿が見られ、歴史を感じる町の風景が面的に展開していた。
  
城北町の町並


大手町の町並

訪問日:2014.05.03 TOP 町並INDEX