土山宿の街道風景

滋賀県土山町 <宿場町> 地図 <甲賀市>
 
町並度 7 非俗化度 6 −鈴鹿峠を控える東海道の宿駅−


土山の旧本陣付近の町並


 東西日本を連絡する幹線交通路としては、近年では米原経由が一般的であるが、鉄道開通以前は鈴鹿峠を越える旧東海道が一大幹線で、それを踏襲するのが現在の国道1号線である。土山宿は、その鈴鹿峠を控える近江側の最後の宿駅として大きく発展を遂げた。
 鈴鹿峠越えの街路は古くは仁和2(886)年に開通したとされ、伊勢神宮への斎宮群行などに使われた。後に商人の通行も増加し、伊勢地方との行商も盛んに行われ、土山には彼らを受入れる宿屋が多く構えられた。江戸期になり本陣や問屋場なども整備され、土山宿として宿駅の指定を受け、大名行列などの重要な通行も頻繁であった。
 旧東海道は国道1号線の南側に残る。江戸方は道の駅のある付近から始まり、野洲川に近づいたところで斜めに横切るまで2km以上も旧土山宿の町並が続いている。さすがに東海道の宿場だけあって、その規模も大きなもので、街路が今に至ってもほとんど潰されることなく残っているのは誠に幸運である。
 町並の中央やや西よりに、一段と目立つ黒漆喰の二階屋が見える。これがもと土山宿本陣で、寛永11(1634)年将軍の通行の際に指定されたという大変歴史が古いものである。当然この建物は当初からのものではなかろうが、明治期には皇室の京都と東京の間の往来が盛んで、その折この土山本陣によく宿泊されたとのことで、その頃には既にあったのだろう。









本陣横の風情ある路地風景

 この旧本陣の付近にはかつての豪商を連想させる重厚な建物が幾棟か残り、迫力を感じさせる古い町並が見られる。伝統的な建物の残存度はそれほど高いものではなく、東西に長い町並でやや単調な家並風景が続く中で、本陣付近の景観がこの町並の印象を引締め、強い印象を訪ねるものに与える。
 土山の町並は訪問客の数も少ないようで、意識したような観光施設などは皆無であり、古いお宅には旅籠時代の屋号を示した木札が掲げられており、探訪者に対して最小限の主張がされている。それが好ましく感じられる町並であった。
 

訪問日:2006.10.09 TOP 町並INDEX