青森県尾上町【商業町】 地図 <平川市> 町並度 5 非俗化度 9 −農産物を背景に発達 近江からの移住者もあり栄えた− |
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尾上の町並 | |
弘前から黒石とを結ぶ弘南鉄道で20分ほど、津軽尾上の駅東一帯に尾上の市街地が開ける。地方私鉄の途中駅としては意外と構内が広いのは、黒石まで全通する前のしばらくの間、ここが終点駅であったからだ。 古くから東西方面と南北方面、さらに周囲からの諸道が交わる位置にあり、街道集落的に家並が形成されたのが始まりとされる。もともと津軽平野一帯の中でも肥沃な土地で水にも恵まれ、有数の米生産地となった。「耕作口伝書」という農書が元禄期に刊行されており、津軽藩内でも農業の先進的なところとして注目されていた。江戸中期以降はい草の栽培も盛んに行われた。 これらの農産物の集散、街道の往来から町が発達したのだろう。近江商人の移住も行われたようで、小規模ながら商業の蓄積もあったと思われる。一例を挙げると貞享3(1686)年に当地に進出した西谷家は油絞業を営み、享保20(1735)年に近江から移った西谷伊兵衛は酒造名義を譲り受けた。 町並の見られるのは県道13号・116号の交差点付近を中心とした一帯で、この辻が古くからの街道の交わるところだったのだろう。特に後者の東西の通りに沿っては、妻入りの立ち上がりの高い商家建築が呉服店の看板を掲げている姿など、在郷商業町として栄えた姿を伝えていた。他にも商家や土蔵などがあちこちに見られ、古い町並が残されていた。外観的には壁の外側に柱・梁組を表した真壁が目立つ。 古い町並としては全く知られていないが、近くには盛美園など名勝もあり、それと絡めて少し意識されるのも面白いのではと思われた。 |
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訪問日:2016.12.31 | TOP | 町並INDEX |
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