津川の郷愁風景

新潟県津川町【在郷町・港町】 地図 <阿賀町>
 
町並度 5 非俗化度 6  −阿賀野川水運と陸運との結節点−




津川(旧中町)の町並




津川(旧横町)の町並 津川(旧中町)の町並




津川(旧上町)の町並


 津川町は下越地方の内陸部、阿賀野川の中流域に位置し東は福島県に接する。磐越自動車道や磐越西線が通り交通の便は良いが、現在は山間の小さな町といった風情である。ちなみに阿賀野川は福島県では阿賀川と呼び名が変り、藩政期には会津藩領であった当地でもそう呼ばれていた可能性もあるが、ここでは現在の呼称に従い阿賀野川と呼ぶこととする。
 江戸初期には津川城が置かれていた。実際この津川の地は会津地方にとっては物流の大動脈であった阿賀野川水運において、陸運から舟運へ切り替える中継地として発展したところであった。この水運は津川船道と呼ばれ、藩内の米はここで舟運に委ねられ、新潟の港から塩や海産物、上方の商品などを積んだ船が遡ってきた。 
 寛文3(1663)年には藩から許可されて六斎市が早くも始まり商取引が盛んに行われた。
津川は新発田・若松両城下を結んでいた会津街道の宿駅でもあったため、村上・新発田藩の参勤交代時にも宿泊地になるなど賑わい、港町の機能も従えた一大在郷商家町として大きな発達をみた。17世紀後半の寛文年間には354軒を数えたという記録がある。しかし江戸後期頃になると大火が相次いだり新潟港の水深が浅くなったことで河港としては衰微していったという。
 古くからの中心市街は阿賀野川左岸の段丘上に開け、西から港町・中町・横町・上町と呼ばれた。これが旧会津街道筋で、横町のところで二度街路が屈曲している。港町の西端付近には廻米蔵があり、船戸・河戸などと呼ばれる河岸がありここで荷の揚げ下ろしが行われていたという。
 町並の特徴として軒先の雁木が挙げられる。旧会津藩領内で雁木が見られるのはこの津川のみだそうで、慶長15(1610)年に発生した大火で町域のほとんどが焼失した際、当時の城主の復興計画で屋根に平板造りという庇を付けたのがこの町の雁木の始まりとされている。雁木の連続性という点では上町がもっとも見応えを感じるが、他の町域も含めそれほど古いものではないように思えた。
 妻入りで真壁を見せた商家が所々に見られ、大いに商業が栄えただろうことが伝わってくる。間口の広い立派な屋根を持つ老舗は糀屋であった。
 一角には狐の嫁入り屋敷と称する外来客を受け入れる施設があった。津川の舟運の歴史等も紹介されていて立寄ってみる価値はある。狐の嫁入り行列というイベントがあることから名付けられたようで、訪ねた時は開催を近日に控え、町中にも幟が立てられるなどアピールに余念がないようであった。
 

訪問日:2019.04.29 TOP 町並INDEX