築地の郷愁風景

東京都中央区【商業町・都市部の非戦災地区】 地図(築地場外市場付近を示す)
 
町並度 5 非俗化度 4  −繁華な市場の土台は古い町並−




築地場外市場の町並 この市場街が実はほとんど戦災を逃れた古い建物で構成されている
 

 
築地市場は東京都民の台所として広く知られ、その規模からしても日本を代表する大市場である。この市場の前身は日本橋魚河岸にあった市場で、関東大震災を機にここに移転してきたものである。江戸城へ献上する魚介類は、幕府の命により大坂の佃村の漁師を呼寄せて(佃・佃島という地名が残る)、余った品がこの魚河岸で一般庶民に売られていた。
 もともとが魚市場だったので海のそばの築地が選ばれたが、今では生鮮食料品一切を取扱っている。
 市場町以前、もっと古い時代のこの町は、明暦(17世紀中盤)の大火以降に移転してきた西本願寺別院の門前町で、大火時の廃材を使って町が築かれたことから築地の名があるのだという。明治以降しばらくは海軍の拠点ともなっていた。災害とともに町の姿を大きく変えてきた町である。
 さて、築地市場は場内市場と場外市場とがある。場内市場は問屋や料亭など、プロ向けであるのに対し、ここで紹介する場外市場は市場の敷地外にあるという意味で、一般人にも広く解放されている。新鮮なネタの鮨をはじめとして、安くて美味く新鮮という市場直轄の店を目当てに多くの客が訪れる。
 しかしこの築地場外市場そのものが、都内でも稀に見るほどの古い町並を有していることは、着眼点が店舗そのものに集中することもあってほとんど知られていない。
 場外市場はその多くが細い路地内に展開しており、そのほとんどが看板建築といってよい。看板建築というのは俗称だが、これは家屋の路面側の二階部に胸壁を高く立ち上げて、そこに商店の宣伝看板などを取り付けられる構造とし目立つように工夫されたものを指し、狭義には関東大震災の復興時に東京で流行した店舗の建て方を示す。これが多く残っている地域は、東京においては古い町並ということの出来るものである。そして、銅板を貼り付けた例も多く見られることが、古い町並の雰囲気を一層高めている。それが雑踏するともいえる人気の市場街と同居しているのは非常に滑稽な取合せである。中には卯建調のものを両脇に立上げた家屋もあり、大阪の非戦災地区をも思わせる。この築地も同様に第二次大戦時の空襲の被害から逃れた地区の一つである。
 西本願寺東京別院の南東側の築地6・7丁目付近も非戦災地区で、場外市場とは打って変わって人通りの少ない静かな町並が広がっていた。看板建築をはじめ出桁の木造町家、銅板葺の家屋という典型的な戦前の建物が残っていて、またその密度も濃いものがあった。
 
 






築地六・七丁目を中心に戦災を免れた家屋が多く残っている





築地四丁目の町並
築地六丁目の町並☆




築地七丁目の町並(右側☆)

☆:2013年7月再取材時撮影

訪問日:2006.11.05
2013.07.14再取材
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