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筑波山麓(上大島)の町並 | 筑波山麓(上大島)の町並 |
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筑波山麓(神郡)の町並 | 筑波山麓(神郡)の町並 |
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筑波山麓(北条)の町並 | 筑波山麓(北条)の町並 |
![]() 筑波山への道標が残されていました。 |
関東の名山として名高い存在の筑波山は標高は800m余りであるものの、広い平野から聳え立っているため非常に目立つ。峰が二つに分かれていることから男体峰・女体峰とそれぞれ呼ばれ、その鞍部から発する川は男女川(みなのがわ)と呼ばれる。山容もよく、富士山と好対照の山として古くから尊崇されていた。 山岳宗教の中心としての歴史も古く、筑波山神社、中禅寺がその中心であり、山はそのまま筑波神社の神体となっている。 この筑波神社に向けて数多くの参詣道が巡っていた。四国の金刀比羅宮や信州の善光寺などを代表例として、寺社を要として収斂する街路網はこの筑波でも同様であった。そしてそれらの参詣道の沿線では、随所に茶屋や休憩所、そして宿駅的な機能を有する町場が自然発生的に立地した。 ここで紹介する町並はいずれも筑波神社参詣との深い関わりとともに発達したところである。 上大島は筑波山の西麓で、北部の真壁や下館からの参詣道沿いにあったと思われる。古い町並が展開するのは100mほどに過ぎないが、街路に接して並ぶ旧家群が連続して長屋門を構える迫力ある町並風景が残る。武家町でもないこの町にどうして長屋門が集中しているのか、俄かには理解しがたい。 筑波神社の真南に位置する神郡は門前町として栄えた町。旗本による陣屋も築かれた一つの自治体をなし、筑波山に向けて真っすぐに伸びる街路沿いには黒漆喰に塗られた端正な容姿の町家、板塀を巡らした屋敷が残り平和で裕福な昔を想起させる。 神郡から南に小高い丘を越えた北条はやや大きな町場で、江戸時代土浦藩はここに陣屋を置き、在郷町として商業が発達していた。神郡から南下してきた道との交点に大きな道標が残り、一面には「これよりつくば道」と彫られていた。ここは多くの建物が更新され古い町並としては連続していないものの、この追分付近を中心に伝統的な建物も散見された。 この町々からは眼前に筑波山の優美な姿が望まれる。地味な印象の町ばかりであるが、こうして拾い歩きをしてみると上大島の長屋門をはじめ家々の豪勢さを感じる。どこからでも目立つこの山を目印に多くの参詣客が集まり賑っていたのだろう。 |
訪問日:2004.10.10 | TOP | 町並INDEX |
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