津久見の郷愁風景

大分県津久見市<産業町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 9 −江戸期から続く石灰・セメントの町−


港町の町並


 津久見市は県の南東部、半島と入江の交錯する地形が豊後水道に面し、わずかな平地に市街地が開ける。
 江戸時代は市域の北半分は臼杵藩領、南側は佐伯藩領で、現在の市街中心に当たる津久見村は佐伯藩領毛利氏による支配を受けていた。文化3(1806)年の『改正郷村明細帳』によると、村の組織は大庄屋を筆頭に村方三役として庄屋・地目付・頭百章が置かれ、木挽14、桶屋2、鍛冶屋3などのほか酒屋1軒、店商売3軒などの商工人があったという。
港町の町並




元町の町並 門や塀の構えが厳かな邸宅が見られる


 この町でイメージされるのはセメントをはじめとした工業の町というところだろうが、その歴史は既に江戸期から始まっており、周囲の山々で石灰石が多く採れたとこから石灰焼きが盛んに行われていた。18世紀後半の寛政期頃には複数個所に石灰小屋があったという。石灰焼きとは石灰石を高温で加熱後水を加えて消石灰を作るもので、漆喰など建築材料として用いられ、藩の重要な財源となっていた。
 市街地は駅付近の他、西側に丘を回りこんだ付近にも展開しており、おそらくこの付近が産業町由来の町域であったのではと思われる。敷地の広い邸宅、一部には立派な門を持つ家もあり厳かな空気の漂う家並である。石灰・セメント業で蓄財した家々なのだろうか。日豊本線を挟んだ海側にはセメント町という町名もあった。
 一方駅に近い側は商店街が展開するが、その境界のちょうど丘を回りこむ辺りに若干古い町並の連なりがあった。商家が連なっていたものと思われるが、現在は空家や更地も目立ち、また表通りから奥まった人通りの少ないところにあることから、今後は段々と面影が淡くなっていくことになると思われる。
 商店街は看板建築も残るなど昭和の雰囲気も残していた。人口規模の割には飲食店の数や広がりが大きいように感じられた。やはり工場従事者などの需要があるからなのだろう。




中央町の町並 看板建築が見られるなどやや昭和レトロ的な雰囲気も残している


訪問日:2018.11.23 TOP 町並INDEX