妻籠宿の郷愁風景

長野県南木曽町<宿場町> 地図 
 町並度 10 非俗化度 1  −町並保存の魁をなした木曽路の宿場町−




寺下の町並。最も妻籠宿らしい所で、日本の町並保存の原点でもあります。




 枡形付近の家並もいかにも宿場らしい佇まいを見せます。  瓦葺きはありません。かつては石置き屋根で、今でもごく一部に残っています。




 下町から中町にかけては間口の広い商家風の家々も多く見られます。道は緩やかにカーブし見通しを遮断しています。  本卯建を構えた旧家。しかしそれでいて出梁造り、軒下に幕板が下がっているのが興味深いところです。
 

 塩尻からずっと木曽川の谷沿いに下ってきた中山道は、この妻籠の手前、三留野宿で流れから離れ、支流蘭川を遡る。三留野から山辺の道を辿り、蘭川に突き当たったところにあるこの妻籠宿は、三留野側から下町・中町・上町・寺下と続き、少なくとも外観はほぼ宿場時代そのままといってよい。宿駅の規模としては、木曽路中もっとも小さいものだったというが、現在残る町並の規模としては間違いなく最大で、しかもその密度も濃い。
 それは他の多くの木曽路の宿場に鉄道の駅が設けられたり国道が近くを通り変化していったのに対し、妻籠はそれらに取り残され、近代的な町としての発展を見ず宿場街はそのまま保たれたためで、住民が過疎化の打開策としての町並保存運動を昭和40年代前半から起こし、識者の指導の下修復が進み、往時の宿場街の姿がほぼ復元された。重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けたのも妻籠が第1号で、ここはわが国の町並保存の旗手、日本を代表する古い町並と言える。
 ここを訪ねた人の記事を見ると、多くが時代劇のセットのようだという。だがこれは作られたものではなく、実在していた町である。多くが土産物屋や資料館に変貌し、中身は大きく変わった。しかし純粋に町並だけでこれだけの訪問客があるというのは、他にはない。
 町並は防衛の役割を持って設置された桝形を経て、その先の寺下地区で真骨頂を迎える。「嵯峨屋」「尾張屋」などの看板のある町並は妻籠を代表するもので、町並保存の出発点でもあった。修繕の仕方もいかにもという嫌味には感じない。散策客に対して極力宿場時代の趣を感じてもらおうと努力している色が、この寺下の町並には感じられる。
 この寺下の家並で特筆すべきものは出梁造りという構造である。これは二階部を大きく前に張り出して、桟などを設け一階部に覆い被さるようにした造りで、一階は雨の日などでも窓を開けておくことができる。これは美濃路以西の中山道はもとより、西日本では見られない。一方で、本卯建を構えた旧家も数軒見られ、東西日本の結節点にこの妻籠があるのを感じる。
 宿場町の中ではわが国で最も旧来の姿そのままで、現存規模も大きいといってよいこの妻籠宿。それだけに観光地化してしまい、シーズンは人の波が絶えない。落着いた静かな散策をしたいなら、早朝、日没前または冬場に訪れるしかない。そうすれば木曾の深い山の中に包まれていることを一層強く感じることだろう。これから馬籠を経てようやく山峡から開放され美濃路に入る旅人と、木曽路に分け入る旅人がすれ違った宿場町。宿駅としての機能は失っても、この町並は往時の旅人の姿を想起させるに充分である。
 
 


訪問日:2003.05.04 TOP 町並INDEX