津島の郷愁風景

愛知県津島市【商業町・門前町】 地図

 
町並度  6  非俗化度 6 −津島神社の門前町から商業都市に発展−





津島神社東側の本町に残る袖壁の連なる町並
 

 津島の町は津島神社とその例祭として知られる天王祭りに象徴される。
 津島神社は6世紀の建立と言われるほど深い歴史があり、その後も藩の保護もあり熱田神宮などとならんで尾張三大社とされ、全国に約3000もの分社がある。
 この地域では伊勢神宮と同格ともされたこの神社に門前町が発達し、商業が栄えたのは必然的なことであった。
 名鉄津島駅前から天王通りとよばれる街路がまっすぐ神社に向って西に伸び、現在は商店街となっている。地図を見ても、駅の東側は幅の広い道路が直行し、現代になって開発された新しい市街地と察せられるが、この天王通りの周囲は無秩序に屈曲した細道が錯綜したさまが伺え、古い町であることが推測できる。
 その小路に沿って古い町並が随所に残っていた。多くは袖壁付・切妻平入の形を取り、一・二階部ともに出格子窓が多用されている。特に天王通りの南側、本町付近は袖壁がリズミカルに連続した町家風景が見られ、見応えのある町並が残っていた。ここを中心としてやや面的な広がりを見せて、津島神社に近い橋詰町、天王川公園の東側の地区にも伝統的な町の風景が多く残る。
 地図では現在、津島市は濃尾平野の奥深く入った内陸の町であるが、古くは港町で、海上交通にも門戸を開いていた地であった。木曽川などの土砂の堆積や干拓などが進むと、津島神社の求心力から街道交通の要衝ともなった。東海道の短絡路として熱田(宮)宿から伊勢桑名への航路があったが、津島神社を参詣し、現在の佐屋町から桑名へ渡るルートも一般的だったという。
 この人の集結、往来する環境を受け、江戸初期には米商人、その後は綿糸などの繊維関係の商業が発達し、大きな町家は奥行100mもあったという。袖壁の連なる町並を歩いていると、その当時の殷賑ぶりをわずかながらも感じさせてくれるようである。
 津島の町は明治の濃尾大震災、戦後の伊勢湾台風で甚大な被害を受けている。特に台風被害では20kmも離れた伊勢湾から海水が逆流してきて、約2ヶ月間市街全域が冠水したという。しかしここに古い町並が残っているのは、旧市街地が微高地に立地していたからだ。この付近は今では原型をとどめないが、天王川、佐屋川という二つの川が流れ、津島神社はその輪中にあって、門前町は天王川左岸の自然堤防上に開かれていた。地形が幸いして、大都市近郊都市となった現代に至っても、こうして古い町の姿を味わうことができる。




本町の町並 片町に残る津島神社社家であった氷室家住宅



横町の町並



横町の町並


訪問日:2006.07.16 TOP 町並INDEX