堤の郷愁風景

佐賀県白石町<町家群> 地図
町並度 5 非俗化度 9 −佐賀藩直轄の商業町−






堤の町並。妻入りの町家がある程度まとまって残っている。


 佐賀平野南部のこの付近は水田が大きく広がっている。その一角にある白石町域も西部が一部杵島山などの裾野の丘陵地帯となっているが、ほぼ低平な土地が広がり、散村的に農村集落が点在している。
 ここで紹介する堤集落は、その中で比較的山裾に近い位置に展開する。
 古くは須古と呼ばれ、古代から荘園に指定されるなど歴史深い集落である。
 集落の西側には小高い丘がある。この地の地頭であった白石氏は、中世ここに須古城を構えて、江戸期には佐賀藩の支領として須古領が位置づけられていた。東側の低湿地帯に城下町的に町場が計画され、商家が建ち並んでいた。
 町並は須古城跡と県道に挟まれた南北の筋に沿って残る。白漆喰に塗りごめられた妻入りの町家が、ある程度のまとまりを持って残っていた。2階部に小さな軒庇を回して入母屋風にした造りや、1階の両端部に衝立のような壁を立上げ、隣家と隔離するような建て方は九州北部の典型的な町家の姿を見るようだ。2階に穿たれた小さな窓が鉄板の蓋となっているのも、いかにも風情がある。

 中世頃の姿は環濠集落に近いものだったらしく、今でも家並の裏側には濠の跡らしき水路が残っていた。








これはかつての環濠の跡か。

訪問日:2005.07.17 TOP 町並INDEX