津和野の郷愁風景

島根県津和野町<城下町> 地図
 
町並度 6 非俗化度 1  −観光の町はかつて石見西部の政治経済の拠点であった−

 津和野町は島根県の南西部、盆地に発達した町で、戦国期に町の西にある山に三本松城が築かれ、以後城下町として長らく発展を続けてきた。江戸期には因幡鹿野から亀井氏が4万3千石で移ってきて町割が整備され、以後廃藩置県まで250年にわたり亀井氏の統治下にあった。
 周囲の山々からは石見らしい赤瓦に彩られた家並が見下ろされ、地形からも集落が発達するに相応しいところのように感じられる。
本町通りの町並




 本町通りはかつて商人が軒を並べたところ。石州瓦の大柄な商家が残り、中でも造り酒屋が多く残っており
どこに入ろうか迷うほどです。




本町通りに直交する路地 裏路地の町並




殿町通りの町並 町並
 

 町は北側が町人街、南が武家町とされ、武家町の遺構としては有名な殿町の土塀と鯉の泳ぐ掘割の風景がある。これは亀井氏の前の代、坂崎氏の時代に防火を目的として掘られたもので、奇しくも現在はそれがこの街で最大のイメージを与える風景となっている。武家町でも特に上級武士が居住する地区であった。家老職を勤めた家の門なども残り、観光客で賑うところである。
 中下級武士の居所であった地区は津和野川の南にあり、こちらは面影はほとんど残っていない。
 一方、町人街であった町の北部では、殿町に続く本町通沿いを中心に比較的町並として雰囲気が残っている。津和野藩は亀井氏主導で商業産業が強く奨励され、醸造業や製紙業が立地し、とくに紙は石州和紙として特産品であった。
 古い町並としての連続度はそれほど高くないものの、古い商家は規模が大きい。間口奥行ともに広く、平入りで側面には堂々たる妻面を見せている。幕末に大火があり、古いものでもそれ以後の建築であるが、逆にそれが漆喰の塗屋造りなどの頑丈な建て方を呼んだのだろう。幾つか残る酒屋の一つに入ってみると屋根裏の梁が逞しく太かった。
 またこの本町通りに直交する路地や裏道も、かつての歓楽街的な匂いを交え渋い家並が連なる一角があった。この辺りを歩いていると、観光客でごった返すほどの殿町付近とは全く別の町を歩いているようだ。
 しかし全体の印象としては、山口線を走る蒸気機関車列車などの影響もあるのだろうか、町並の現存度の割に観光地としての知名度が高すぎて、古い町並としては余り好ましい状態ではない。静かな散策を望むなら、冬場か雨の日がよいだろう。

 


訪問日:2004.11.07 TOP 町並INDEX