津山(城東地区)の郷愁風景

岡山県津山市<城下町・街道集落> 地図
 
町並度 7 非俗化度 4
 −出雲街道沿いに商人街が密度濃く残る−

城東地区の出雲街道沿いの町並

 

 美作国の中心地としての位置付けは今も変わらぬ津山市は、1603(慶長8)年森忠政が信濃川中島よりこの地に転封された時より城下町として発展してきた。城は吉井川の北岸の鶴山に構え、支流の宮川の東側の山裾を武家地とし、その南の吉井川との間の出雲街道の沿道を商人町、町人町とした。津山に残る古い町並は、主にこの出雲街道沿いに展開している。延長1.2kmに渡って町並が展開するその規模は、中国地方ではかなり大きな部類に入る。
 出雲街道沿いは後には宿場町としての機能も兼ねるようになったが、基本は近隣の商いの中心都市であった。中ほどには鍵型の曲りがあり、そこを境に城に近い西側が当初から旧城下町に所属する林田町・勝間田町などであり、平入りで統一され、袖壁が連続する典型的な町家の姿を見ることができる。東側は寛永年間以後に城下に編入された地区で、町並の東端は鎌や鍬などの産業町であり、ここでは最も新しく家の造りも本二階となる。家屋からも時代が感じられて興味深い。
 街道からは横道が美濃屋小路、札場小路などの名称で武家地に向って伸びていた。今もその多くが残り、町割が江戸時代から多くは変っていないことを示している。
 東新町の旧梶村家住宅は津山を代表する町家で、町人役を勤めていたその規模は大きく、回遊式の庭園、奥座敷や離室、土蔵や茶室等のある本格的な屋敷型旧家である。他にもこの町並の情報発信施設、休憩施設などともなっている作州城東屋敷、国指定文化財の箕作阮甫(江戸期の洋学者)旧邸なども見学でき、武家地区とも含め時間が許せば一日かけてゆっくりと散策してみたいものである。
 地元ではこの町並の保存に向け努力されているようで、市はこの地区の町並に似合った家屋の修復等に対する補助事業も行い、町並をテーマとした催しも多く行われている。しかし今の所ほとんど観光客ずれしていない貴重な町並である。

 


平入り、中二階形式の町家が連続した見応えある町並景観が連なります。


 街路の視界を遮り、防衛上の対策とした街路の屈折。歴史深い町であることを示しています。




東新町、旧梶村家住宅の土蔵

※最後の2枚以外は2004年11月最終訪問時の画像です。

訪問日:201.11.04
(2004.11.21再取材)
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