内子の郷愁風景

愛媛県内子町<産業町・商業都市> 地図
 
町並度 9 非俗化度 2  −蝋生産で富を重ねた町並−






松山から南に約30km、内子の町の歴史は鎌倉期に願成寺の門前町として開かれ、以後遍路道の宿場的な役割も兼ねて成長してきた深い歴史を持つ。しかしこの町が現在保つ古い顔は、江戸期に入ってから発展した商業町としてのものである。当時廿日市・六日市・八日市と呼ばれた町々は市場町としての発展を見、「大洲和紙」の集散地ともなった。そして何よりも、近隣に自生する櫨の実を原料にした木蝋の生産がこの町の発展を決定的にした。この蝋生産業で成立った豪華な商屋群が今でも高い割合で残り、古い町並の残る八日市地区は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 内子の製蝋業は、芸州可部の職人から伝えられたものといわれ、その後八日市の芳賀弥三右衛門が、水に落ちた蝋の結晶からヒントを得、「晒蝋」という工法を独自に開発し、それまでの木蝋から白蝋へと品質は向上し、内子産の蝋は全国にその名を知れ渡すことになる。それは大洲藩の主要な財源ともなり、町には富を象徴する大規模な商家が林立した。近年新線が開通したものの、鉄道の幹線から長い間外れ、国道からも離れた立地条件で、造りの重厚な商家群は持ちも良く、蝋生産が中止された現在でも多くの見応えのある家屋が残っているのが肯ける。


 本芳賀家と付近の町並




芝居小屋・内子座






 「白壁の町並」という代名詞を附して呼ばれるが、ここの家々で用いられる漆喰はこの地域の壁土の特徴で黄味を帯びた、独特の風合いを醸している。しかし、意匠は様々であり、或るものは中二階で虫籠窓を装備し可憐さを感じさせ、また他のものは総2階で全面に格子をはめ、入母屋の屋根の四隅には名古屋城とも見紛うほどの家紋をあしらった鬼瓦を張り出させている。これは建築された年代によるものと思われるが、それだけ長い期間この町は繁栄を続けていたことの表れだろう。また商業町らしく、蔀戸や床机が残っている旧家も多く見られた。
 最も町並らしいのは本芳賀家付近で、紹介本にも良く登場する代表する町並風景だが、この旧家を見ていると、見るほどに次々と発見がある。軒下の出格子を支える持送りの豪華さ。見上げると亀の鏝絵がある。庭に回ると妻部には豪華な鶴の鏝絵もある。まさに贅を極めたという言葉通りの豪邸である。 
 芳賀家の流れを引く上芳賀家も近くにあり、内部は蝋生産の模様が再現され一見の価値ありである。中庭を半周する回廊、普通の一戸建て1棟分ほどの面積のある炊事場など、大変な豪邸である。
  




  公開されている上芳賀家(09.05現在解体修理中

※後半2枚:2003年8月撮影
  その他:2009年5月撮影

訪問日:2001.05.03
(2009.05最終取材)
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