重要伝統的建造物群保存地区として多くの訪問客のある内子の町並から東へ10km弱の地点に大瀬地区がある。内子の町を流れる小田川の上流域に面し、細長く集落の連なりがある。
歴史としては山間部から平野部へ移行していく土地にあるため、物資が集まりやすいことから町が自然発生的に形成されたのだろう。大洲藩領であった江戸期より紙漉きが盛んに行われ、18世紀半ばの宝暦年間にはこの地区だけで500人を超える紙漉きが存在した。大洲藩は紙の生産を奨励し、製品を大坂などに送り木蝋とともに藩の収入の多くを占めるものとなっていた。
周辺の山村への入口ともなっていることから在郷商業町として町が発達し、大瀬村という独立した村であり江戸末期から明治にかけては人口約4000人を抱える大きな町であった。農業に従事するものが最も多かったが、牛馬商をはじめとする商人も多く、また煙草や木炭、蝋造りに従事するものも多かった。
町並は予想外に保存の手が加えられているというのが第一印象であった。出格子窓を多用した町家風建築がここの特徴的な旧家の形なのだろう。新しい建材を使い整えられたその姿は自然に残った古い町並との印象ではなく、外来者の眼を意識し整備された色が強く感じられる。
これが悪いということでは決してない。古い町並では建物は古色蒼然とした外観を呈しているべきという期待感が「物足りなさ」を覚えさせるのであろう。
四国八十八箇所巡りの道筋にも当りこの町を通過する旅人は少なくない。家並の外れにポケットパークなども整備されており、徒歩の人々に対してもささやかな心と体の休息を与える存在になっている。
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