坂手の郷愁風景

香川県内海町<漁村・港町> 地図
町並度 6 非俗化度 8 −路地裏探訪が魅力の港町−
 


 小豆島の南東端、関西方面からの汽船も発着する島の東の玄関、坂手港。近くには二十四の瞳映画村などがあり観光の拠点である。
 海岸からすぐに山の斜面になるところに立地しているため平地に乏しく農業には不向きであった。村人は廻船業や漁業を頼りに生計を立ててきた。そして集落も狭い土地のゆえ、細い路地が張り巡らされた独特の形態を示している。
坂手の路地




坂手の路地  遍路道だったこの筋にはこのような建物も。宿屋だったのでしょうか。




登録文化財となっている岡田家の門(武家)  石垣を駆使して標高差を克服する努力が随所に見受けられました。




一部には洋風の建物も。近代の繁栄を思わせます。
 

 町名は地形をあらわし、坂の地ということに因むとされ、町の背後に山が迫る地形のため農業には不向きで、代りに漁業が古くからの主産業であった。江戸初期には鰯網・鯖網・鰆(さわら)網など17網を所有していた。
 また島の東玄関ということから廻船業も行われ、他国との交流も多かった。
 明治以後、関西方面からの汽船がここを経由して高松とを結ぶようになり、その傾向は一層強まっていった。産業としては明治半ばで醤油醸造家9などが数えられている。
 現代になって整備された新しい漁港と大型フェリーの発着できる岸壁、そして湾岸道路は海岸を一部埋立てて造成したらしく直線的で広々としているが、一歩山側に足を踏み入れると軽トラックすら通れないような細い路地が広範囲にわたって張り巡らされている。このような細い道のためか家々の更新には困難が伴い、結果的に明治期から戦前にかけての漁村の姿が保存されたのだろう、あちこちに板塀に囲われた漁家を見ることができる。一方で小豆島八十八箇所霊場の一つ観音寺への参詣道となっていた道筋はやや広く、二階に桟をつけた客商売をしていたらしい建物も幾つか残っており、町の賑やかさを今に伝えていた。
 小路を巡っていると物音一つしない。時々地元の方がリヤカーなどを引いて行き来している姿を見かけるだけだ。現代の車社会とは全くかけ離れた集落風景が展開している。

 
 


訪問日:2004.12.11 TOP 町並INDEX