鶴川の郷愁風景

山梨県上野原町宿場町 地図 <上野原市>
 町並度 4 非俗化度 8  −甲州街道の宿駅−

 




鶴川の町並


 上野原の市街地から鶴川の流れを挟んで1kmほどのところにその名も鶴川地区がある。
 旧甲州街道が通るところで、藩政時代には宿駅・鶴川宿が設置されていた。上野原宿よりわずかな距離ではあるが、鶴川が交通の障害となっていた。今でも実際目にすると深い谷間となっており、その険しさがわかる。しかも増水時には川幅が著しく増大し、橋が流れた場合は川底を歩くしかなかった。荷物の渡しなどは人足に頼る事もできたが、水位により料金が細かく定められていた。
 江戸時代の大半は幕府領で、谷村出張陣屋
(現在の都留市中心部)の支配下にあった。
 江戸後期の天保期の記録では、本陣が1、脇本陣2が存在しており、旅籠8とある。また郷蔵や高札場などの施設もあった。
 明治になって宿駅制度が廃止され、さらに国鉄中央本線の開通により甲州街道はその役割を失った。鶴川を挟んだ現在の上野原中心部には駅が設けられ、商業の集積も見たが、交通幹線から外れたこの鶴川は寂れてしまった。
 鶴川右岸の小段丘上にかつての町場が開けている。意外にもほぼ平坦な街路がほぼ一直線に続いており、街路幅も乗用車が悠々とすれ違えるほどである。大正期に大火に見舞われているため、残念ながら宿駅時代にまで遡る伝統的な家屋は残っていないが、それ以後に建てられた家々によって風情を感じる町並が形成されていた。







訪問日:2015.05.02 TOP 町並INDEX