楢原・乙父の郷愁風景

群馬県上野村【山村集落・街道集落】 地図(楢原)地図(乙父)
 町並度 4 非俗化度 7 −幕府に木材や鷹を献上した十石街道沿いの集落群−

 






楢原の黒沢家住宅(重文)


 県の南西端に位置する上野村。神流川の上流域にあたり、南と西を山岳地帯に阻まれた地形となっている。
 集落はほぼ神流川の谷沿いに限られ、かつては十石街道と呼ばれた往還が信州とを結んでいた。


  楢原の町並
 

 この区域一帯は江戸期に幕府領となり、山中領と呼ばれ27代に及ぶ代官支配が行われた。山中領は大きく上山郷・中山郷・下山郷の3つに分けられ、ここで紹介する楢原・乙父の二集落は上山郷に属していた。いずれも古くからの山村集落で、幕府の御用林の管理を行っていた。檜・栂・黒松・楢・ブナなどの木材を伐り出し、神流川の流れを利用して江戸まで運ばれたという。
 また御用林内には御巣鷹山と呼ばれる狩猟用の鷹を捕らせるために特別に指定した区域があり、楢原の黒澤家はその管理を行い鷹を幕府に献上していた。黒澤家は山中領全体の惣代も勤めた名主で、現在も主屋が残り重要文化財に指定されている。養蚕に使われた二階部、一階の座敷群など見所も多い。
 黒澤家前の旧十石街道沿いには2階に木製欄干を持つ伝統的な建物が数棟見られた。
 楢原から2km弱東の乙父地区は、旧十石街道に沿い街村の雰囲気が比較的残る町並が見られた。但し土蔵が街路に面した姿が目立ち、家々は農家の佇まいであった。ここも御用林と御巣鷹山を持ち、その看守を行っていた。桑や楮を栽培して養蚕や和紙作りが行われ、大豆や絹などで現金収入を上げていたという。また造り酒屋が1軒あり武蔵小鹿野へ運ばれ売られていたとの記録がある。
 山間の過疎地域、黒澤家住宅以外は現在の姿がいつまで保てるか、失われる日は少しでも後であってほしいものだ。










乙父の町並


訪問日:2018.09.23 TOP 町並INDEX