羽後亀田の郷愁風景

秋田県岩城町【城下町】 地図 <由利本荘市>
 
町並度 5 非俗化度 7  −計画的に都市計画された町割が今に残る−





 亀田は出羽国(後羽後国)由利郡に属し、江戸初期は最上氏の家臣である楯岡氏の支配を受けていた。同氏は当初この亀田に居城し、郡の北辺に偏していたことから程無くして本荘に移転したが、以後も城下町としての体裁を受け継いできたところである。

亀田の町並









 

 元和8年楯岡氏から本多氏に代わり、さらに翌年には岩城氏が信濃から入りここに城を構え、以後維新まで同氏の城下町として息づいていたところである。岩城氏は日本海岸から約3kmほど内陸に入り、平地と丘陵、そして川の流域と地形の利を活かして侍町、町人町を効果的に配備して31もの町に細分化し管理した。
 亀田藩の領地はここを拠点に内陸部の西仙北地域にまで及んでおり、佐竹氏(久保田藩)支配の優勢の中奮闘していた。
 特産に木綿やうどんなどがあり、これは港町石脇から西廻り航路を利用し蝦夷地の松前や江差、箱館などに主に輸出されていた。明治に入ってもその産業活動は盛んで、海運により各地と取引されていた。
 現在では幹線道路沿いからはずれひっそりとした空気が町並を包んでいる。羽越本線の駅もあるがやや町からは距離があり、それも現代になって大きく市街地が発達しなかった要因なのであろう。戊辰戦争時の戦災や大火により往時の建物は多く残っていないというが、それでも土蔵や妻入り町家が散見され、歴史をはらんだところであることは予備知識がなくとも想像に難くないところである。
 大柄な見応え度の高い商家や邸は見られず、伝統的な建築は比較的小規模なものが多くを占める。しかし町並全体からは古い都市計画の厳然としたような匂いがする。それは人工的な直線の街路が主体でありながらも邸宅の樹木、塀などが古錆び、それらが古い町並らしい風合いをかもし出しているからであろう。旧家の残存度の割に印象度の濃い町であった。





訪問日:2012.08.14 TOP 町並INDEX