宇治の郷愁風景

京都府宇治市【産業町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 5  −平安期の貴族文化に歴史を遡る町−



 近年は京阪の住宅都市としても発達が著しい宇治市。銘茶の産地として、また世界遺産となっている平等院もあり、規模の割に知名度は高い町といえよう。
茶師であった上林家の長屋門




茶の老舗も残る宇治橋通りの町並




あがた通りの町並
 
 

 その歴史は平安期まで遡ることができる。平安遷都によりその郊外地となった当地は、貴族のいわゆる別業地として脚光を浴びることとなった。別荘が建立され、鵜飼や花見、紅葉狩りや舟遊びなどが行われた。平等院は別業地としての遺構が残る貴重な例である。単に都に近いというだけでなく、宇治川や巨椋池の水運を通じ各地と往来できる位置にあったことが、この時代に貴族文化の発達するところとなった要因だろう。
 伏見城築城時に秀吉は宇治川を改修して伏見に河港を建設したため、宇治は港町として発達することはなかったが、以後現在まで茶の産地として息づくことになる。
 日本茶の代名詞ともいえる宇治茶の名の初見は14世紀後半の永徳期といわれ、室町期にはその地位を確固たる物にしたとされる。現在の市街地付近は江戸期を通して幕府領で、伏見や洛中のように動乱に巻き込まれることもなく静かに文化が培われていったといえよう。幕府や朝廷、諸藩の大名に茶を上納する茶師が多く住まう地となり、また文人の往来も盛んだった。高級品である玉露もここで創製された。
 奈良線の宇治駅南側に並行する宇治橋通り商店街は観光客の姿もあって活気が感じられる。この付近が茶師が集結していたところであるが、現在は上林家の長屋門にのみその名残が見られる。他にも伝統的な構えの茶の老舗が数棟あり、町の歴史を物語る。古い町並としての連続性は高くないが、看板建築の商店などもあり歩いていて面白いものがある。
 平等院の参道には土産物街をはじめとする町並が連なり、その西側の縣神社につながる通称あがた通りにも、宇治茶を販売する店舗や町家建築が散在していた。
 





平等院の参道にも所々伝統的な構えの店舗が見られる


訪問日:2017.09.02 TOP 町並INDEX