桜野の郷愁風景

栃木県氏家町<商業町・街道集落> 地図 <さくら市>
 
町並度 4 非俗化度 7 −奥州街道沿いに残る塀を巡らせた邸宅群-

瀧澤家住宅 敷地内には望楼を持つ建物も見られる
 

 氏家町の中心街から東へ喜連川方面に向うと、五行川を渡ったあたりで町並の様相に特徴が見られる。間口の広い屋敷型の邸宅が多く見られるのが特徴で、張り巡らされた塀にも瓦が葺かれているなど、かなり裕福だったさまがうかがえる。
 この街路は旧奥州街道で、文化7(1810)年の記録では桜野村は街道沿いに3町30間にわたり家々が続き、多くは百姓であったが鍛冶屋・造酒・大工各1、桶屋・木挽各2などもあり若干の商工業が行われていたようだ。近在の氏家宿の助郷として出役する家もあり、単なる街道集落であったようだ。しかし幕末期には米穀問屋、酒屋、質屋、金融業などの商人が多く台頭したとのことで、現在残る家並はこの頃に起源を求めることができるものなのだろう。
 そんな一角にひときわ目立つ瀧澤家は明治になって紡績業などの事業に携わった旧家で、銀行の創立なども行ったという。大きな長屋門を構え、塀に囲まれた広い敷地には土蔵の屋根から洋風の望楼を立ち上げた珍しい構造の建物も見える。当時は他にも望楼を持つ建物があったというが現存するのはこの瀧澤家だけである。
 街道沿いには明治後期から大正期にかけて、氏家駅から喜連川を結ぶ喜連川人車軌道が敷かれていたという。邸宅群が建ち並ぶ中、人力で物資を積んだ貨車が往来していた賑やかな風景が展開していたに違いない。





桜野の町並




桜野の町並 これは門と土蔵だけが残された例だろう

訪問日:2019.04.28 TOP 町並INDEX