右左口の郷愁風景

山梨県中道町【宿場町】 地図 <甲府市>
 町並度 5 非俗化度 6  −駿河への道・中道往還の宿駅−


 右左口と書いて「うばぐち」と読むこの地は古くは姥口等とも書き、甲府盆地の南縁にあり南の山地を越えると精進湖など富士五湖地域の西部に達する。
右左口の町並



 甲斐と駿河を結ぶ道が古くから開けていたところで、武田氏の時代から伝馬宿的機能を有していたといわれる。街道は中道往還と呼ばれ、別名右左口道ともいった。
 家康により本格的な整備が行われた経緯を持ち、「信長公記」によると、「うば口に至って御陣取。家康公御念を入れられ路次通り鉄砲長竹木を皆道ひろびろと作り、左右にひしと透間なく警固を置かれ、石を退け、水をそゝぎ、御陣屋大夫に御普請申付け、二重三重に柵を付置き・・」とある。
 距離的には両国を最短で結ぶものであったこともあり、公人の通行は少なかったものの商人は多く通り右左口宿は賑わった。問屋や年寄など宿駅の役人も定められていた。
 また駿河の塩や海産物を仕入れて甲州各地に出荷する商人も多く立地し、最盛期には80人に迫ったという。紺屋・桶屋・大工などの商工業者もあった。
 町並は甲府盆地側からは一方的な登りの一本道となりほぼ直線的に展開する。この旧中道街道沿いに伝統的な建物が散在する。最も目立つのは土蔵で、かつては母屋も多く残っていたのだろうが眼につくのは漆喰塗壁、一部は石造の蔵風景であった。それらはいずれも商家として栄えた名残なのだろう。一本道の両側に展開すること以外はやや宿場町らしくない町並景観だが、随所に中宿、上宿など往時の地名を案内する標識や地図もあり、訪ねるものを意識されている様子が伺えた。
 上り坂の町並はやがて標高860mの右左口峠に達し、山間部を縫って東海道の吉原宿に達していた。現在は車道が峠下をトンネルで抜いてしまっていて、峠路に往時の面影はない。
 
 






 






訪問日:2015.05.03 TOP 町並INDEX