宇多津の郷愁風景

香川県宇多津町<港町> 地図
町並度 6 非俗化度 10 −讃岐の中心としての古い歴史を持つ町−
 


 宇多津町は瀬戸大橋の四国側のたもとを担う町。駅の周辺にはゴールドタワーが偉容を放ち、海岸は工業地帯となっている。この20年ほどの間に急速に変貌した町でもある。
 しかしこの町にも古い姿がしっかりと残っている。駅からは南東の方角、町役場の南側、大束川を挟んで東西に伸びる街路沿いに、漆喰や虫籠窓に彩られた2階部、そして1階には出格子をはめ、本瓦葺の町家が連なっている。
宇多津の町並(大束川の東側)




宇多津の町並(大束川の東側) 宇多津の町並(網の浦地区)




宇多津の町並(網の浦地区) 宇多津の町並(網の浦地区)




本瓦・虫籠窓・格子がよく保たれた見応えのある旧家 網の浦地区の横道
 
 
 古くは宇多津は寺院の町だった。室町期以前既に6ヶ寺が創建されていることがわかっており、その後も相次ぎ寺が造営された。文安2(1445)年に細川勝元の官領就任に伴って「主要港津管理権」が再編成され、この宇多津は讃岐を代表する港町と指定された。この年、米、大豆、干鯛・鰯、小麦などを積荷に47隻の商船が兵庫北関に入津している。その数は備後尾道にも匹敵するほどであった。
 江戸時代になると、丸亀の城を築くために移住するものが増え、寺も移設されて次第に政治の中心地としての役割は薄れていくが、港町としての役割は続いていった。
 宇多津は綾歌郡に属し、丸亀城を中心とする西讃岐とは区別されて高松藩主松平氏の統治する地となっていた。藩は領域西部の中心と定め、ここに浦番所、遠見番所を置き、米蔵も設置された。この米蔵は藩域のなかでも最大規模だったようで、多数の年貢米を収納しており、また蔵番も他は1名のみであったが2名配置されていた。
 商家も多数立地した。町域は幕末に向け拡大し、天保9(1838)年の記録では人口3,584に対し1,693人は商人や職人、水主などで占められていた。
 先に書いたように駅の周辺は全く古い町並の匂いがしないが、町役場の南側、もと水主町と呼ばれていた網の浦地区を中心にした一帯は、浮島のように古い町が残っている。特に大束川にかかる橋の前後には町家が集中し、古い町並の景観を色濃く保っていた。昔の街道だったのか、この筋には構えの大きい旧家が集中しており、横道に入っても所々に散見させる。
 その一角で雑談に興じていた老婦人にちょっと声を掛けてみると、時々カメラを片手に町を歩く方を眼にする、近所でも(出格子を指差して)これを取るなとうるさく言われているとのことだった。外見上は全く保存されているようには見えないが、古い町並に対してわずかながらも意識されている町の姿が感じられた。「宇多津は歴史深いところ」と盛んに強調されていたが、調べてみるとその通りであった。丸亀や多度津なども凌駕するほどかつては繁栄した町。その残照は今では町のごく一部に封印されている。ぜひとも守っていってほしい、そう強く感じた。

 
 


訪問日:2004.12.11 TOP 町並INDEX