宇都宮(六道・清住地区など)の郷愁風景
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西原一丁目の町並 左画像側面部には母屋裏手の土蔵群が連なる姿が見られる | |
![]() 大寛二丁目の町並 |
![]() 西原二丁目の町並 |
宇都宮の中心市街地は昭和20年7月の空襲によって大規模に焼失し、それ以前の建物が残る地区は少ない。その中にあって東武宇都宮駅を基準として南西約1kmの六道町・西原町付近、北500mほどの清住町付近は戦火を免れ貴重な土蔵や商家建築が残っている。 六道という地名は郊外各地6方面から道がここに集まっていたので名付けられたといわれる。現在地図を見ても旧市街地全体では比較的整然とした街区にあって、この地区は南西から不自然に市街中心に向いて入り込んだような街路形態となっており、やや趣の異なった様子となっている。 六道町と西原地区との境付近で街路が一つの頂点をなしており、ここが街道の結節点だったか。同時に町並の風景が現代的な住宅地・商業地から大柄な商家建築が目立つものに変り、非戦災地区であることがわかる。市街への入口に当たり商家が建ちならんだところだったのだろう。とりわけ印象的なのが大谷石の蔵群である。郊外の大谷地区で産出されるこの岩石は柔らかく加工がしやすい上に耐火性に優れているため、とくに蔵に多用された。宇都宮周辺をはじめ北関東で広く見られるが、さすがに本場に近いこの六道町界隈では隣が空地になったことで皮肉にも商家の裏手に複数の土蔵と塀が奥行深く連なる光景も見られ、見応えを感じられた。 清住町付近では市街中心から北西方向に伸びる街路に沿い古い町の姿が見られる。こちらも街路形態に特徴のあるエリアである。連続性こそ低いものの黒漆喰の出桁調の商家、側面に大谷石を貼り付けた土蔵などが見られる。この道は旧日光街道筋とのことで、付近にあった小さな案内板によると南側の伝馬町付近で奥州街道との追分があったという。宇都宮宿を控えた商業地だったのだろう。 |
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清住一丁目の町並 | 清住二丁目の町並 |
![]() 小幡一丁目の町並 |
訪問日:2019.05.01 | TOP | 町並INDEX |
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