羽前大山の郷愁風景

山形県鶴岡市【商業町】 地図 
町並度 5 非俗化度 7  
−城下町を基盤に発達した庄内平野南西部の商業町 造り酒屋が目立つ−




 わが国有数の穀倉地帯である庄内平野の南西部、鶴岡市街地を西に出外れた位置に大山地区はある。羽越本線の羽前大山駅の北方は古くから開けた町で、中世の城下町に由来する。
大山の造り酒屋の一つ


 古くは尾山と記し、戦国期にあった尾山城を拠点に武藤氏が周囲を支配していた。
 藩政期の多くを庄内藩領として経過し、酒造家や商家が多く立地する藩内屈指の商業町として位置づけられていた。
 城下町として形成されていた町の基盤を利用しているだけあって、現在でも直交する街路を主体とした計画的な都市計画を見る思いがする。そして造り酒屋が複数見られることが、この町が古くから商業的に栄えた、穀倉地帯を背景とした裕福な過去を証明しているように思えた。
 元文元(1736)年の記録では問屋2、医者2、酒屋41、大工11、木挽6、桶屋6、鍛冶9などとあって、既に商工業が発達していた様子が見て取れる。それは庄内平野南西部にあって東に大消費地鶴岡を控え、また海にも近く外港として発達した加茂との中継点にあったことも大きかったのだろう。
加茂港を通じて酒は国外各地に輸出され、その多大な売上げも大山の経済を潤すものであった。
 現在では羽前大山駅は普通列車しか停車しない小さな駅ではあるが、かつては鶴岡をもしのぐ商業町として大きく発展したところであり、それは現在にも継承される酒造家の多さに象徴されている。妻入りの本屋を保持しているそれら伝統的な造り酒屋の姿を見ると、古い町並としての連続性や現存度以上にかつて大きく栄えた商業を感じ、ある意味粛然とさせるようなものがある。
 
 

 



これも造り酒屋の土蔵などが見られる一角







南北の中心街には妻入りの旧家が目立つ 左は杉玉を掲げた造り酒屋



訪問日:2012.08.13 TOP 町並INDEX