和田宿の街道風景

長野県和田村<宿場町> 地図 <長門町>
 
町並度 6 非俗化度 5 −中山道随一の難所・和田峠を控えた峠下の宿場町−





解体修理され公開される和田宿旧本陣
和田村辺り周囲の地形は盆地が徐々に狭まり、険しい山々が両側に迫ってくる谷の入口、嵐気を感じる雰囲気だ。中山道はこの和田宿を過ぎると、次の下諏訪宿までの間に和田峠という難所があり、ここは文字通り峠下の宿として位置づけられていた。甲州街道との合流点であり温泉も豊富だった下諏訪に少々無理してでも辿りつこうか、または今宵はここに投宿しようかと、当時の旅人は思い巡らせたことだろう。
 この周辺では国道142号線が中山道の道筋をほぼ踏襲しており、現在もかつての和田峠をそのまま通過し諏訪盆地に達している。和田宿の前後では運良くバイパスとなり町の東側を短絡したため、宿駅の町並はそのまま残ることとなった。
 今でも旧宿場町の町並は往時の面影を濃く残していた。旅籠建築はほどんど軒を前にせり出した、二階部が街路に飛び出たような外観の出桁造り(せがい造り)で、これがこの町並の最も大きな特徴となっている。この建て方は信濃路でも多く見かけるが、それよりも木曾路の方に顕著で、建てられた年代頃に、街道を通して西側の木曾地方の建築文化との折衝があったことがうかがえる。






旧中町の旧家。屋号もズバリ「よろずや」。 旧下町の町並




本陣より北側の下町ではこのように出桁造りの旧家を中心に古い町並が色濃く残っている。


 
 中でも最も象徴的なのが下町の町並で、出桁造りの町家が多く残り、間口も広く宿屋であると同時に大商家であったことが想像できる。公開されている河内屋は文久元(1861)年の建築である。緩やかな曲線を描く街路に沿い、石垣に嵩上げされ、堂々と見下ろすように建てられた町家群は迫力を感じさせた。隣同士が軒を接していないのも特徴で、取壊された例も多いのだろうが、建物の両脇を見ると当初からこのような敷地に余裕を持った建て方であっただろうことがわかる。
 本陣も解体修理を経て公開され、石置屋根の古風な姿を街道から控えた位置に見せている。この問屋職を兼ねていた長井家は、中世の城であった和田城の主の娘婿が宿創立以来、代々受継いできたものである。
 本陣前付近から峠に向ってはやや街路が広くなり、この辺りが宿場の中心だったのだろう。この付近には建築的にはそれほど多くの遺構は残っていないが、本うだつを両側に張出した旧家が万屋を営んで居られるなど、旧街道沿いに繁栄した町の残照を見るようだ。
 全体的に見て、歴史的な建物の連続度はそれほど高くはないものの、質的には高いものが残されていて、これからもこれら旧家群の保存を絶え間なく続け、後世に歴史を伝えていただきたいものだ。
 

訪問日:2006.04.09 TOP 町並INDEX