鷲敷の郷愁風景

徳島県鷲敷町【商業町】 地図 <那賀町>
町並度 5 非俗化度 9  −那賀川水運の一大拠点として河港が発達−




和食の町並 町並の中心にある那賀酒造は広大な敷地を持つ
 

 阿南市の市街地で海に注ぐ那賀川を20kmほど遡った地点にある鷲敷(わじき)地区。中心は和食と表記し読みは同じである。
 近世初期には和食城という平城が築かれていたが、一国一城令により廃城となっている。
 徳島県の地勢は吉野川の中下流域以外は険しい山河が複雑に入組んでいる。この鷲敷を含む上流側は仁宇谷と呼ばれ他の地域と区分されていた。ここから上流側は平地はほとんど形成されず、河岸段丘上に集落が立地、主産業は林業である。他の河川流域とは険しい山が往来を拒み、何々谷と呼ばれるほど流域ごとに異なる商業・文化圏を持っていたのだろう。
 鷲敷はその仁宇谷の入口にあって当地域の政治・経済の中心的な役割を古くから果してきた。那賀川を利用した水運は藩政期より盛んで、川港町・商業町が形成されていた。幕末から明治になると下流の各地と高瀬舟で結ばれ、上流部の薪炭、木材、茶などが運ばれ、生活物資を積んで遡上した。また原木はそのまま筏が組まれ運ばれていた。高瀬舟は最大60艘は保有していたといわれ、物資の往来がいかに多かったかがわかる。
 道路の整備により川運が廃れて以後は、ささやかな地域の中心として息づいて今に至っている。
 和食の町並は屈曲の激しい那賀川右岸、段丘上に位置している。国道の北側に一本道があり、街村的な展開を示している。中央に造り酒屋が見え、街路沿いに母屋を見せ、背後に広い敷地を有している。享保10(1725)年創業の那賀酒造である。これだけの老舗が息づいているということだけでも商業町としての繁栄振りを感じさせるものである。
 町を歩くと小規模ながら商家建築、洋風の外観の建物など時代ごとに賑わいが続いただろうことが伺え、現在の山間の小さな町といった雰囲気とは全く異なる町場風景があったことが思われる。










訪問日:2017.12.02 TOP 町並INDEX