石川県門前町【門前町】 地図 <輪島市> 町並度 5 非俗化度 6 −総持寺の門前町− |
門前の町並 文字通りの門前町が展開する | |
門前町は能登半島の北西部を占め、現在は輪島市の一部となっている。この地域としては比較的平坦な土地に恵まれたところで、そんな中に中心街が開けている。 町の成因は能登半島としては珍しい門前町で、町名通りの歴史である。総持寺は元亨期(14世紀前半)に開創されたといわれる寺院で、越前の永平寺とならび曹洞宗の総本山として認められており、寺運が隆盛した。江戸時代に入ると徳川家康から1000両の寄付もあり幕府の祈願所ともなり、門前には町場が形成された。 宝永2(1705)の記録によると門前町の構成は寺代官2、大工や左官などの工人26、商人12、労役6となっており、いずれも総持寺の御用業者であった。それは門前町というよりは寺内町といってよい性格を帯びたものでもあった。 明治31年に多くの堂宇が焼失する惨事に見舞われ、奥能登の不便な地にあり参詣に不便が伴うこともあって移転問題に発展。反対運動も起ったが、結局明治41年に鶴見(現横浜市)に移転されることとなった。門前の寺院は総持寺別院として再興された。 現在でも団体客が訪れるほどの能登では比較的有名な観光地となっている。一方門前町のほうは、観光客に迎合するような土産物屋や施設などはなく、着飾らぬ自然さが保たれていた。 しかし古い建物の残存率の割には外部の目を意識したような色が感じられ、そのバランスはやや悪いというところだ。電柱埋設、街灯の整備などが行われ、残った町家の多くが新しい建材に更新されている。しかしそれらは嫌味を感じるといった程ではない。 一部には袖壁や格子が具備された質の高いものも見られた。 |
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総持寺の門 |
訪問日:2013.05.03 | TOP | 町並INDEX |
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