若桜の郷愁風景

鳥取県若桜町<宿場町> 地図 
 町並度 6 非俗化度 5  −播磨との往還上に位置した宿場町−







若桜の町並。かつての宿場街はほぼ一直線に連なっている。




「仮屋」の見られる代表的な旧家。軒先には水路が流れる。


 


 鳥取県の南東端に位置するこの若桜は国道29号線沿いに展開する。この往還は旧因幡と播磨を結ぶもので、かつて播州街道とも若桜往来とも呼ばれた。岡山方面から播磨を経由せずに往復すると袋小路の奥となり、因幡の中の播磨と形容されるのも納得できる。
 若桜は播州街道とならび、町域東端の舂米集落を経て険しい氷ノ山の峠越えを挟み、但馬との往来もあった。その他各方面への道がこの若桜に集結し、三方を山に囲まれた地形からしても、宿場町が発達するに申し分ない環境を持っている。
 町の土台は城下町によって形成され、関ヶ原の戦後、山崎氏が入城した折に町割がなされ、武家町と町人町が整備されている。城下町としての命は短く一国一城令によって廃城となり、以後は純粋に宿駅として機能した。駅馬が配置され、藩営の御茶屋と呼ばれる宿泊施設も設けられていた。
 かつての宿場街であった町並は町の中心を一直線に、峠に向いゆるやかに登りながら続く。城下町の時代には遠見遮断の目的で屈曲を繰り返していたものを、街路幅を一律4間(約7.3m)に統一し宿駅として整備したものである。
 そして所々に伝統的な町家が現在も残り、古い町並を形成している。この町並の外観でよく知られるのが、道路に面して軒庇を張出す「仮屋」と呼ばれる造りだ。これは現代で言うアーケードのようなもので、風雨に晒されず自由に通行できるようにした生活の知恵といえる。殊に山陰の山間部にあるこの地の冬は積雪が深く、冬場の歩行者の通行の確保という点でも威力を発揮したようだ。しかし本来の目的は防火のためだったそうで、明治中期の大火を教訓に、新築の家は仮屋を設けることが義務付けられ、その前面には水路を這わせた。そして仮屋には火災防止のためや万一の時の通行のため、燃えるものや大きな物を置いてはならぬと決められていたのだという。なるほどこの通りでは今でも通りの両端に豊かな水の流れがある。火災の際の備えだったものが、現在では町並景観に潤いを与えるものとなっている。
 仮屋を従えた旧家は現在そう多くは残っていない。しかし町並の中央にある赤瓦の間口の広い邸宅は、堂々とした煙抜きの小屋根を持ち、仮屋の奥行も深かった。この町を代表する町家建築といえよう。
 これらの家屋の裏側は、各家競うように土蔵を配置した眺めがある。人がすれ違うのが漸くの細い小路だが、やはり水路が走っている。この路地には蔵以外の建造物を建てることが禁じられていたということで、これもやはり火災を防ぐためのものである。見たところ10棟以上、他の建物を挟まない土蔵だけの連続した風景があって、他ではなかなか見られない「蔵並」が残っている。先の仮屋といい、町の人の苦心の策が、独特の町の風景を今に残した。
 宿場町なきあとは林業の町として繁栄を見、今は水音が目立って聞こえるほどの静かな町並である。

 
 





裏手の土蔵が連なる風景。反対側には寺院が連続する
訪問日:2006.07.30 TOP 町並INDEX