川辺・里の郷愁風景

和歌山市川辺・里【街道集落】 地図(川辺) 地図(里)
 
町並度 5 非俗化度 7 −和歌山城下と大坂を結ぶ街道上に古くから町場が形成された−
 
 

 

川辺の平松家長屋門と裏手の濠 
 



 
平松家付近の町並  川辺の町並  


 この川辺・里地区付近は和歌山市街地から北東に10km弱、紀ノ川の右岸に位置し一帯は穀倉地帯で、水田が展開する中に古くからの集落、後発の郊外住宅地的な街区が混在している。
 両地区とも和歌山城下と大坂をむすぶ街道上にあり、古くから集落が形成され発達したところである。
 川辺地区は近くに紀ノ川の渡河点があり、平安期後半になると早くも熊野詣での旅客など街道の要衝として賑わった。
 町並の南を限る位置に平松家住宅がある。周囲は濠と土塀で囲われており、長屋門と主屋は重要文化財に指定されている。安政3(1856)年建築、門は和歌山城から移築されたものと云われ、主屋は本瓦葺の重厚な姿を見せる。長屋門の前の曲り角には「左北大坂みち」などと刻まれた道標があった。
 この平松家から北側の街道沿いに伝統的建物が点在している。街道沿いには土蔵を構え、脇道に門を構えるものもある。その姿は街道沿いというよりは農村集落に近いものを感じる。
 川辺地区から街道上を北に500m程、里地区の町並に到達する。藩政時代は山口町と呼ばれ、里村はその属村であった。和歌山城下から大坂へ向う道筋では最初の伝馬所が置かれ、また町屋敷が免除されたことからこちらも早くから街道集落が発達した。紀伊国を扱った『続風土記』では100軒弱の家数が記録されており、かなりの規模であったことがわかる。
 里地区には一階部の格子が綺麗に残る町家、中二階部に虫籠窓を持つ旧家、土蔵を従えた家など短い区間ながら濃厚な古い町並が見られた。本瓦の厳かな門を持つ御宅もあり、周囲には見られない歴史の蓄積を感じることが出来る。
 
 

 

   
 



 
 里の町並 

訪問日:2024.09.16 TOP 町並INDEX