脇野沢の郷愁風景

青森県脇野沢村<港町・漁村>
 
地図(脇野沢)地図(九艘泊) <むつ市>
町並度 4 非俗化 7 
−西廻り航路の拠点としての名残の見られる港町と行き止まりの漁村−
 


 
 脇野沢村は下北半島南西端を占め、南岸は陸奥湾に面し、西岸は山の迫る険しい海岸線を呈して津軽半島と対峙している。
 江戸時代、下北半島全体は盛岡藩領であり、田名部通
(通とは政治的な統括の単位)に属した。現在のむつ市の中心にあたる田名部に代官所が設けられていた。
脇野沢の町並




脇野沢の町並


 半島は西廻り航路を介して、江戸よりもむしろ上方との結びつきが強く、また松前など蝦夷地への中継点ともなった。それらとを結ぶ廻船が発達し、越前・越中・越後・能登などからも多くの来住者をみた。交易を盛んにしたのは檜やヒバなどの木材、そして特に脇野沢では鱈が特産で脇野沢タラと呼ばれ、江戸への鱈の廻船で財を築いた角屋(松村家)などの例もある。
 脇野沢の町並は比較的整然とした印象であり、それほど古いものではないと思われるが所々に商家風の家々が見られる。地図で位置を確認するに鄙びた漁村というイメージしか湧かないが、それでもどっしりとした家々が多いのは、やはり廻船業で栄えた港町だったという証なのだろうか
 脇野沢の中心集落から
5kmほど西に海岸線を辿ると次第に山が海に迫る険しい地形となり、少し開けたところに美しい漁村集落がある。九艘泊というところで、これより先は景勝地・仏ヶ浦に象徴されるように険しい海岸線が連なるため陸路がない。作家の宮脇俊三氏は著書の中で、ここを「クソ止り」と言い換えて陸路の奥地であることを表現していたが、そう思わせるような風景の漁村である。しかし脇野沢の本村よりもこちらの方が港としては早く開けたようであり、江戸の前期頃の記録では田名部五ヶ湊の一つとして脇野沢ではなく九艘泊の名が挙げられている。
 海岸に沿って漁具庫などに使われる板貼りの小屋、控えた位置に家屋という配置で、この地域の漁村独特の集落風景が展開していた。








九艘泊の町並


訪問日:2018.04.30 TOP 町並INDEX