蕨の郷愁風景

埼玉県蕨市<宿場町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 6  −中山道 江戸から二番目の宿駅−






錦町三丁目の町並


 蕨市は戸田市や川口市などに囲まれた非常に面積の狭い自治体で、その市域は東西約3km・南北約1kmほどでしかない。
 東北本線が市域を縦断し、また国道17号線が市の西部を通っている。この国道は旧中山道を踏襲するものであるが、もと宿駅の箇所は旧道が残されていることも多い。
 蕨には宿駅が設けられ、江戸に近い位置にありながら本陣や脇本陣も具備された本格的なものであった。板橋宿との間には荒川が流れていたが中山道時代は橋が架けられることはなかった。江戸の防備のためであり、戸田の渡しという渡船に拠っていた。
 本陣が二つもあったのは戸田の渡しが増水などにより途絶えた時に備えてもので、蕨宿の名主を勤めた岡田家の本陣を西の本陣、隣接する塚越村名主の本陣を東の本陣と呼んでいた。宿場区域は用水濠に囲まれ、夜間の不用意な人の出入を防ぎまた防火の役割も果したが、大火にはしばしば襲われている。
 旅籠にも平旅籠と飯盛旅籠があり、後者では客引きが強引に旅人を勧誘していたそうで、両者をあわせ20数軒の旅籠があった。他にも木賃宿などもあったのだろう。
 旧宿場街は商店が連なる通りとなっていたが、所々に出桁造りの町家が残っており古い町との認識を抱くことが出来る。町並として連続しているのは北部の国道を跨いだ錦町付近で、土蔵を含め古い町並として評価できる佇まいを保っていた。その他薬局の古い看板を掲げる町家など商家の姿も目立つ。宿駅業務だけでなくここは商業も古くから栄えていて、戦国期から六斎市が開かれておりまた江戸期にかけて青物や油、穀物、荒物などが盛んに取引され賑っていたという。
 なお中山道とJRの駅が遠く離れているのは、明治期に国電京浜東北線がここに達する時に地元が町中に鉄道を通過させることに反対し、東に遠く離れた田圃の中に建設させたことによる。しかし今では大都市近郊の過密都市として新旧の市街地は一体化しその境は曖昧である。しかし、中山道沿いから駅前までは昔の趣を感じさせる商店街が結んでおり、いち早く市街地化したのだろう。店の様子を横目に見ながら向うのも楽しいものである。
 
 




中央五丁目の町並 中央六丁目の町並




北町二丁目の町並 錦町三丁目の町並

訪問日:2009.05.30 TOP 町並INDEX