亘理の郷愁風景

宮城県亘理町<城下町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 8  −亘理伊達氏の城下町−




店蔵や土蔵を中心に展開する亘理の町並


 亘理町は県南東部、北は阿武隈川の最下流域であり東は太平洋に面する。町の中央を常磐線が縦断し、仙台までは約30分の距離にある。
 中世には亘理城が構えられ、亘理氏の治めるところであったが、伊達氏の領地替えにより天正19(1591)年涌谷に移り、慶長7(1602)年には伊達成実が移り住み、維新まで亘理伊達氏の城下町として発展を続けた所である。城山は牛が伏せたような形状をしていることから臥牛城とも呼ばれる。なお、亘理城は慶長20(1615)年の一国一城令以後は亘理要害と呼ばれた。
 現在、城山の麓には商業施設などが見られるが、その東にある南北に連なる街路は城下町に由来する町並が展開していた。特徴的なのが表側に店蔵・土蔵を配し、主屋はその奥に位置させていることだ。建て替えられたり空地となっているところが目につく点が惜しまれるものの、蔵と門の町並といえる特色的な風景といえる。
 江戸期には城下町として上・中・下の三町を整備し、呉服・木綿などを扱う商家が店を構え、10軒もの酒屋があったという。江戸中期になると六斎市と呼ばれる定期市が開かれ、米や海産物をはじめ紅花・煙草・生糸・漆など多様な商品が取引された。この街路は陸前浜街道の一部でもあったことで、より発展が促進されたのだろう。
 古い町並としての連続性は余り高くはないが個々の店蔵などは十分な質感があり、建物や景観の保全に取組む価値は残されていると感じた。
 








土蔵の奥に主屋や付属屋が構えられている 


訪問日:2022.07.16 TOP 町並INDEX