八橋の郷愁風景

鳥取県東伯町<宿場町> 地図 <琴浦町>
 町並度 5 非俗化度 10  −八橋街道を分岐する伯耆街道の宿駅−







 旧伯耆街道に沿って東西に細長く残る八橋の町並

 伝統的な姿のまま営業を続けて居られる造り酒屋
 

 鳥取県のほぼ中央部日本海岸に東伯町八橋
(やばせ)の町はある。緩やかに傾斜して海に没する大山の麓特有の地形から、砂丘地帯が大きく広がる東伯耆独特の地形に移行していく位置にある。
 古くは八橋郷と呼ばれ、中世には西に接する赤崎港を控えて、東伯耆及び因幡の動静を見守るに適した地であり、政治的・軍事的にも重要な位置にあったのであろう、戦国期には尼子氏と吉川氏の激闘が繰り広げられた所である。
 江戸期にはここは大山の北麓を巡りながら東進する伯耆往来から、内陸の商都・倉吉に向う八橋往来が分岐した町で、宿駅が設置されていた。制札場なども設けられていたといわれる。
 藩政時代を通して鳥取藩領であったこの地は幕府には菊里村と届けていたが、藩内では八橋または八橋宿と呼んでいた。「八橋は...菊里を基本名とす」と藩史にも残る。西隣の赤崎港は菊港と呼ばれていたことからも、菊の名はこの周辺の外向きの地名だったのかもしれない。
 旧街道はほぼ海岸線に従って伸びているが、港町としての機能はほとんどなく、また漁村でもなかったようだ。西に小さな岬を回りこんですぐのところに赤崎の港があり、そちらに港的な役割を預けていたのであろう。
 町並は東西約1kmに渡って続く。集落内の2箇所で、街路の直角の折れ曲りが残り宿場町を象徴している。
 家々の雰囲気は、隣接する赤崎の町並とほぼ同一であり、家々は平入りがその多くを占め、二階は漆喰でなく出格子をはめた板張りが多い。その中で町の中心に大きな造り酒屋が偉容を誇っているのが印象的であった。二つの街道が合流する所であり、人の往来も多く商業も栄えたことを思わせる。
 


八橋の町並


街道から海側に入った路地




八橋の町並  八橋の町並

訪問日:2004.06.20 TOP 町並INDEX