藪原の郷愁風景

長野県木祖村 <宿場町・産業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −難所鳥居峠を控えお六櫛で知名度の高かった中山道の宿駅−
 


 
 



 


 
 



 
薮原の町並 


 中山道木曽路は途中の鳥居峠が分水嶺となり、北は信濃川水系の奈良井川、南は木曽川の上流域となっている。薮原地区は南側の峠下に位置し、標高も900m余りの高地にある。古くは美濃・信濃両国の国境で、薮原は藩政期も尾張藩領に属していた。
 幕府による街道の整備が行われ、往来が盛んになるにつれ街村が発達、中山道の上四宿の一つに数えられ、鳥居峠を控えていたことと飛騨に向う街道が分岐していたことで福島・奈良井とならび繁栄した。天保期の中山道宿村大概帳によると本陣・脇本陣各1、旅籠10、問屋2を有し、人家260余り、1500人近い人口を有する村となっていた。
 薮原で特筆されるのが木地・曲物など木材加工業の発達で、中でもお六櫛と呼ばれる木櫛が有名で各地に知られた。江戸後期の弘化期には、全家数429のうち239軒が櫛関係の仕事に従事していたといわれる。木曽随一の名産として知られ、御嶽信仰や善光寺参りの土産として多くの旅客に買い求められた。明治9年には、「木櫛892筒、東京、大阪、京都をはじめその他諸所に輸送す」との記録があり、1筒には約1200枚を梱包したもので、892筒は約100万枚に匹敵する。
 旧宿場町の町並は中央本線の駅付近から北側に連なっている。現在でもお六櫛の看板を掲げる店舗があちこちに見られ、また漆器、木地など工芸品を扱う店も目につく。街道の裏筋は古府町と呼ばれる職人町であったという。各家には屋号が示された札などが見られ、旧宿場町らしい風情を感じる。連続性も高く特に町並の北側では緩い坂道沿いに間口の広い立派な商家の連なりが見られ、古い町並と呼ぶにふさわしい風景も展開していた。
 探訪中少しお話をした地元の方に偶然ご自宅を見せていただいた。この付近の家々は皆裏庭に山水を引いているとのことで、見ると広い庭に鯉の泳ぐ池、隅に土蔵があった。表向きは古い御宅ではなかったが、敷地は中山道時代そのものなのだろう。山水は今でも生活用水として利用されているようで、街道筋の所々に水場があった。
 
 
 

 


 
お六櫛の老舗   所々に山水を引いた水場がある

訪問日:2021.10.09 TOP 町並INDEX