広谷の郷愁風景

兵庫県養父町<商業町> 地図 <養父市>
町並度 4 非俗化度 9 −中世から市場が立ち繁盛した−









 



 


 
養父町広谷地区は円山川の支流大屋川の下流部左岸付近、周囲は比較的平野に恵まれ水田地帯となっている。
 最近になって国道のバイパスが出来、商業施設なども見られるが、地図を見ると大屋川の流向に斜方向となる不自然な形の街路が見え、家並が連続している。しかも途中で直角に折れ曲がっており、これは古い町並があるのではと思い訪ねた。
 江戸期は出石藩領の時期が長く、後期の嘉永5年(1852)からは幕府領となった。中世の内から早くも六斎市が立ち、京大坂、堺、姫路など近国の商人と活発に取引が行われていた。この折れ曲がった街道筋は相当古くから町場化されていたのだろう。酒屋・油屋・紺屋をはじめ様々な商店の記録がある。宝永3年(1706)の記録では115軒、517名を擁していた。また明治になっても同3年の記録には生糸・蚕種商18・荒物商9・旅籠・茶屋6・馬喰5・鍛冶5など計97戸の商人・職人があり、その職種は実に36にも及んでいたという。
 江戸期に二度、更に明治10年に大火があり、現在見られるものは古くともそれ以降のものであろう。街路に沿って連なる家並は軒を接して密集しており、古い町並の姿を留めていた。新しい建物が混ざるものの切妻平入の商家型建築も多く見られ、立派な前庭を持ち入母屋の屋根を持つ屋敷、料理旅館の看板を掲げる建物なども見られた。
 街路の形や建て込んだ家並などから基幹道路として使われることもなく、いつの間にか保存されていたような町並である。バイパス沿いの情景との対比が滑稽に感じられる町並でもあった。
 
 
 

訪問日:2021.06.26 TOP 町並INDEX