山崎の郷愁風景

兵庫県山崎町<城下町> 地図 <宍粟市>
 
町並度 6 非俗化度 8
 −碁盤目状の町割が今に残る旧城下町−




県道53号線北側、古い町家建築を保つ造り酒屋の連なる町並
 


 播磨地方の中部やや西寄り、中国自動車道の通る山崎町は宍粟郡の中心として各省庁も集まり国道沿いを走ると地方の小都市といった開けた印象を受ける。高速道を活かし近年には商工業も集積している。
 しかしこの町の本当の繁栄は遥か昔に遡る。
 中世に山城が築かれていたこの山崎では、その後元和元(1615)年に池田氏が城主となり、6万余石を統治する山崎藩が成立した。城は平城で揖保川西岸の低平な地に移り、城下町は城の北側の山裾に建設された。揖保川における高瀬舟の起点・終点ともなっていたため商業が集積して、町場は拡大した。位置的にも郡の南の玄関であったため自然に物資が集まる要素もあった。年貢米をはじめとして鉄などを海産物や日用雑貨と引換えに積荷していた。舟は網干(現姫路市)とを往復し帆船に積替え大坂方面と流通していた。
 城の位置は現在山崎小学校や歴史資料館などとして整備された一角となり、跡形もないが小学校正面には門(紙屋門)が保存されている。
 町場の方はというと、これも国道や県道などが新設されており古い町は形を変えている。しかしいずれも旧市街地の中央を串刺しにはしなかったため、それらに取囲まれた地区には城下町時代を想起させる古い佇まいが残っていた。
 市街中心の南縁に沿う県道53号線の北側の通りには、造り酒屋が三軒営業を続けている。いずれの主屋も伝統的な町家建築で、土蔵を従えていてそれぞれ自らが古い町並を形作っていた。その一角を東進すると昔ながらの商店街。その一隅に鎮座する光泉寺の門前には家老であった小野家の正門が移築保存される。
 この付近は街路が細かい碁盤目状で、城下町時代の町割がよく保存されていることがわかる。そうした小路にも、平入りで塗屋造りの町家が随所に残り、格子も綺麗に現況のまま保たれた見応えのある旧家もあり、町並探訪に彩を添えてくれる。
 旧市街地の面積は広く、往時は全てこのような町並だったのだろうが、現在はその多くが建てかわり、古い町並らしい風景はそう多くはない。しかしこの市街地はどこを歩いても、何かしら古い匂いが感じられる。
 旧家の保存などの活動は町として全く取られていないようで、それが気掛りであった。




旧市街地の町角風景




中二階で袖壁を従えた町家の連なる一角 路地にもこのような旧家が所々散見される
訪問日:2004.11.21 TOP 町並INDEX