呼松の郷愁風景

岡山県倉敷市【漁村・港町】 地図
 町並度 5 非俗化度 9 −工業地帯に封じられながら残る漁村風景−
    
 この呼松は古くは高梁川の河口に位置するところにあり、水運の利便性と漁場に恵まれた代表的な漁村であった。現在では埋立てにより水島工業地帯が眼前まで迫り、漁港の風情は淡くなった。また、水島から児島方面に抜ける幹線道路が集落の近くをバイパスで抜けているため、通過点にもなりにくいところだ。知らぬ間に通り過ぎてしまう小さな町である。

 江戸期、備前国児島郡に属していたこの呼松は干拓により人口を増やしていき、元治2(1865)年には1782もの人口を抱える本格的な漁村集落となっていた。船も200隻あり、その多くが漁船が占めていた。
 
町の中心に残る洋風建築の呼松郵便局




 家並はほぼ一本の街路に沿い連なっていた



脇路地にも所々風情が感じられる




 
 明治に入ると河口の地の利を活かし物資集散地となり、石炭や肥料、米や麦、酒などがここを基点に海上を行交い、また川を上下した。また金刀比羅宮への参詣客もここより船が仕立てられ、瀬戸内海を渡っていったという。しかし河口港の宿命である土砂の堆積は避けられず、干潮時には干潟となって船の出入りを阻害した。そのようなこともあり大正後期になると近在の下津井や味野、宇野などの諸港に押され、以後は小さな漁村として息づいてきた。
 国道430号線で水島方面から児島方面に折れ、少し走った辺りの右手下方に細長く展開する。今は集落の外側は運河のようになっているが本来は河口部の広々とした水域が広がっていたのだろう。家々は少しカーブを描きながらも直線状に連なり、それがかつての海岸線か。一部は丘の上に向い路地風景を残している。
 家々は繁栄を誇っていた明治から大正頃の佇まいが残っていた。この町の中心が独特の外観の洋風建築、今でも現役の呼松郵便局付近で、周囲にはもと商家や店舗だったらしい一階部分が開放的な造りとなっている平入りの建物が固まっている。造り酒屋もあり地区の中心を担っていた時代を想起させるものがある。
 とりわけ伝統的な建物があるという印象はないが、工業地帯に迫りこられながらも漁村としての家並の形はそのまま守られており、貴重な風景といえよう。古い郵便局の存在が、ひときわ町並風景を引締めているように感じた。





訪問日:2008.04.20 TOP 町並INDEX