淀の郷愁風景

京都市伏見区<港町> 地図 
 町並度 4 非俗化度 7  −河港と旧街道が接する交通・物資の結節点−




淀美豆町の町並 右は浜納屋の建物



 伏見区淀地区は桂川と宇治川との合流地点に程近く、著名な造り酒屋が集積し訪れる客の多い地区とは離れており、競馬場のあるところというイメージが大きいかもしれない。京阪電気鉄道の淀駅が設置され、高速道路網も充実しており交通の便は至って良い。
 淀の歴史としては淀城、そしてその城下町というのがまず連即されるところだろうが、古い町並としての姿が残っているのは城下町としてではなく、河港町としてのものである。
 この地区はかつて巨椋池の西岸に位置していた。桂川、鴨川、木津川が合流し淀川となる河川流域上の結節点でもあり、水上交通・物資輸送の拠点として古くから港が発達していた。『延喜式』では山陽道・南海道諸国や大宰府からの物資運漕の終点と記録されている。
 河港であったのは現在の淀美豆町付近で、同時に京街道に沿った街道町でもあったという。
 このあたりの京街道は堤防上に連なる町並であったといわれるが、宇治川の立派な堤防に直角にぶつかるような形となっており、しかも堤防に比べ土地が随分低いため、現在の地形から往時の町の姿を想像するのは難しい。しかし、宇治川の堤防上から見下ろすと街道部分が微高地となっているのがわかり、町家の背後の一段低いところに土蔵などを従えていたのがわかる。
 古い町並として連続した箇所はわずかしかなく、それも街路の片側のみであるのが惜しまれるが、街路東側にはかつて木津川が流れていたそうで、商家は街路を挟んで浜納屋と呼ばれる蔵を設け、川舟に直接荷物を積込むことのできる構造になっていたという。現在でも醤油醸造を営む木田家の浜納屋が残存している。
 地図を見ると、淀地区内に八幡市や久御山町の区域が複雑怪奇に割込む形で存在している。これもかつての川筋・町筋に由来しているものと思われる。
 




街道裏手のやや低い部分に土蔵群が見られる





訪問日:2017.09.02 TOP 町並INDEX