与板の郷愁風景

新潟県与板町【港町・商業町】 地図 <長岡市>
町並度 4 非俗化度 10 −信濃川の川港として発展した−
 


 与板町は信濃川の左岸に開け、西側は日本海との間の低い丘陵地となっている。近世は小さいながらも城下町であり、与板藩も成立していた。但し藩主も小大名だったため主だった城郭も形成することなく、むしろ信濃川水運の川港町、そして在郷町としての性格が強いものであった。
 町場は支流黒川の沿流に立地しているが、すぐ下流で信濃川に合流することもあって、新潟や長岡方面のみならず、大坂廻米なども扱う者も多く生れた。享保期(18世紀前半)の記録では9名の船持、14艘の廻船を有していた記録がある。大河信濃川はこの内陸の町も外海の航路へと容易にいざなっていたのだろう。
 また在郷町・市場町としても、『越後野志』に「与板新町ニテ、毎年六月二十五日ヨリ七月朔日迄市アリ、四方ノ商客輻輳ス、又馬モ売買ス」とあるように賑っており、商圏も広く当時は長岡と同等の町場が開けていたようである。港町ということで付近の農村部の物資が集結し発展を続けていった。
 








与板の商店街 建物は古くはないが小規模な妻入りの建物が連続する 軒先はかつては全て雁木であったと思われる


 維新後も新潟-長岡間に運航されていた蒸気船の寄港により賑わいが続き、三島郡役所が置かれるなど地域の中心としての地位は続いたが、その後鉄道が信濃川の東側に敷設されたこともあって衰微の道を辿ることを余儀なくされた。
 この付近の町は幕末の戊辰戦争時に激しい戦闘が繰り広げられた所が多く、その折に廻船問屋をはじめ多くの主要な建物が破壊されたためだろうか、現在町を歩いても取り立てて伝統的な建物は少ない。しかし中心街は軒並商店街になりながらも、この地方独特の妻入りの建物が非常によく残っており、またその間口が狭いこともあって屋根並の連続性が感じられる。一見現代の商店街のようだが、街路全体を見渡すとなかなか壮観で独特な家並風景だ。所々には梁組をそのまま壁面に露わにした真壁造りの建物や、銅板に被われた店舗、さらには胸壁を二階正面に立上げた看板建築と呼ばれる建物も混在し、雑然としながらも統一感のある町並であった。
 また店先は鉄製のアーケードで被われ、歩行者は雨や雪の日も支障なく通行することができるが、これらはかつて全て木製の雁木であったと思われる。建物と一体化していないが支柱などの構造は雁木と酷似していた。それは大通りから外れた横道の一部に、今なお雁木が残っていることからも推測できる。
 




大通りから外れると雁木が一部残っていた 看板建築も見られる

訪問日:2007.05.04 TOP 町並INDEX