八日市の郷愁風景

滋賀県八日市市【商業町・街道集落】 地図(金屋一丁目付近を示す)
 
町並度 6 非俗化度 8  −街道の折りあう地に古くから市が開かれていた−




 湖東地方のやや内陸部にあるこの八日市は、近年の幹線交通から位置的に少々外れたために地方都市らしい風情が町全体に感じられる。この町を訪ねるには近江鉄道を利用するのが良い。近江八幡から20分ほど、田園の中をのんびり走り到着する。
金屋一丁目の町並


 古い町並は市街地の比較的広い範囲に展開しているので、八日市駅を起点にするならばまず駅に近い浜野町界隈から歩きたい。街道集落的に一本の道に従って古い家並が残っており、建てられた時代はまちまちらしく二階部の立上りがさまざまでありながら、連続性が保たれている。切妻平入りで統一されているからだろうか。小さな燈籠や祠が所々に残り、風情ある街道筋である。
 市街の中心は官公庁地区で新しい商店も目立ち、風情には乏しい。しかし南に足を向け金屋と呼ばれる地区にさしかかると、再び伝統的な家屋が目立ち始める。本町方面から連なっている商店街がこの地区ではアーケードが取れ、店舗も古くからの町家建築そのままに営業されているものも多く、横路地には銭湯や長屋に挟まれた路地風景があった。
 古い町並が残る地区は、多くが御代参街道と呼ばれていた脇街道に沿い立地していたものである。東海道の土山宿と中山道の愛知川宿を短絡していた道で、伊勢方面からは多賀大社への短絡道であり、近江中山道方面からは伊勢参りへの近道であった。八日市はこれとは別に伊勢へ抜ける街道も分岐していたこともあって結節点としての賑わいが古くからあり、また宿駅的な機能を有していたとされる。
 その古い歴史は平安末期にも及ぶと推測されていて、市場が立っていたという。現在の八日市という地名は、八日市場という当時の市の名がその由来である。
 往時の商業活動の盛んだった象徴として保内商人という商人集団が存在した。かれらは近江国内だけでなく伊勢北部にまで商圏を広げていて、呉服から塩、紙などの座をかまえていた。江戸に入っても煙草や茶の生産と販売、鋳物産業も興った。金屋と呼ばれる地域はこの鋳物業で栄えた町の名残だろう。
 地域の商業の中心としての地位は、戦前までは続いていた。しかし毎月何度も開かれていた市は第二次大戦中に廃止され、幹線交通網からもはずれ、その後は地方の商店街として今に至っている。
 古い町並は市街地にありながら、いずれも新しい街路に隠れ目立たない位置にある。伝統的な町家に対して保存の動きも見たところ感じられなかった。旧街道沿いという一つの基盤の上に取組み、訪問者にアピールできるだけのものは十分あると思われた。




金屋一丁目の町並 右の町家の軒下には御代参街道の道標が残る




栄町の町並 金屋二丁目の町並




浜野町の町並 緩やかに曲線を描いた街道に沿い古い町並が展開する


訪問日:2007.07.16 TOP 町並INDEX