島根県横田町<産業町> 地図 <奥出雲町> 町並度 4 非俗化度 6 −和鉄生産が町の基盤を造った奥出雲の町− |
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横田町は島根県出雲地方の南部山沿い、通称奥出雲と呼ばれる地域の中心である。よく知られている出雲神話の主要な舞台でもある。中国山地の町村の例に漏れず近年は過疎化が進行しているものの、町の雰囲気には活気が感じられる。 |
横田の町並。中央の洋風の建物は横田相愛教会 | |
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横田の町並 | |
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横田の町並 |
奥出雲地方は古代より和鉄(たたら製鉄)が盛んな土地であり、この横田でも例外ではなかった。現在でも周辺には観光客に公開されているものを含め数多くの製鉄業の遺構があり、貴重な文化遺産だ。 藩政時代に出雲国を支配していた松平氏は、藩の増収のために藩札で鉄を買い上げて大坂に送り、金銭を得る体制をとり、また有力鉄師を保護する一方で零細なたたら職人や鍛冶屋を排斥する動きがあった。そのため淘汰の末残った製鉄業者は一層の発展を見た。周囲の山々は全て有力な製鉄業者の手中にあり、樹木は根こそぎ伐採されかんな流し(砂鉄を得るため山を切り崩し、土砂を河川などの水流でふるい分ける作業)が行われた。伐られた木々は製鉄の際に必要な木炭に加工された。従ってこの地域では江戸の昔に相当な環境破壊が起っていたことになる。かんな流しの土砂で、ここを流れる斐伊川の下流は河道が持上げられ、周囲の土地より河床面の高い天井川となっていて、農業用水不足と洪水時の被害拡大を招いていた。 藩の保護がなくなった明治以降も製鉄業はこの町の基幹産業であり、大正期まで続いた。昭和に入り衰微したが、それ以後は木炭と肉牛へとシフトしていく。また、明治頃から盛んになった算盤製造も、雲州算盤の名伝統工芸品として根付いていった。戦後の人口の減少も中国山地の他の地域に比較すればそれほど甚しいものではなかった。 そのためだろうか、町の中心部は近代的な建物も多く見られ、道路もよく整備されて、一つの市街地を形成していた。鄙びた町並が展開するものと予想した私は意外だった。しかし市街地の西部、南北に伸びる道筋には伝統的な建物がある程度残っていた。古くても大正期から昭和初期のものと思われるが、木造の旅館建築が現役であったり、洋装の建築も幾つか見られ、近代になっても求心力のある地域の中心であったことを思わせた。 とんがり屋根が印象的な相愛教会は大正12年の建築で、通りのどこからでも目立つ横田を象徴する建物のようだ。現在でも教会として現役で使用されている。 |
訪問日:2005.08.07 | TOP | 町並INDEX |
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