横手の郷愁風景

秋田県横手市【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −川を挟んで武家地と町人地の面影が残る−






大町の町並 店蔵などの伝統的な建物が所々に残る


 
県の南部、内陸盆地に位置する横手市は奥羽本線の駅の東側に市街地が開け、東端は盆地の辺縁となり丘陵に接している。
 旧平鹿郡の中心として政治的要地となっており、横手城がその拠点であった。領主が度々変化したが、関ヶ原の役を機に羽後は佐竹氏の統治下となり、家臣の伊達家、次いで戸村家が入り幕末までこの地を預かった。元和6(1620)年の一国一城令にあって横手城は廃されなかったこともこの地方の拠点としての役割を強めることとなった。
 城下町の計画は横手川を境に、城山の麓に当たる東岸に武家地、西岸を町人地と定め、前者を内町、後者を外町と呼んでいた。町人地には南北に羽州街道が縦断し、物資や人の往来が多く引き入れられたことも町の発展に大きく貢献したようだ。現在市役所などもある町の中心地区であり古い町並としての連続性は淡いものの、土蔵や店蔵、一部には洋風建築の姿もありここが古くからの市街中心であったことがわかる。
 川向こうの旧内町界隈は一転して静かな空気が支配している。武家町は一般に保存される地区であっても屋敷が残存している例はきわめて少なく、見られるのは塀や門のみである場合が多い。ここも黒い板塀に囲われた厳かな屋敷地が展開しているばかりである。しかし現役時代から繁茂していたであろう屋敷林は鬱蒼としていて、濃い緑が支配していた。薬医門の残る邸宅もあった。
 横手市は独自に町並景観に関する条例を定め、旧内町の武家地を中心に修景を行うなど努力されているようだ。旧外町の町人街・商人街での往時の面影はやや薄いものの、双方の旧来の姿が残っていることでその価値が高く見出される。

 








羽黒町・上内町の町並 武家町の名残が濃く残っている

訪問日:2012.08.13 TOP 町並INDEX