尾高の郷愁風景

鳥取県米子市<在郷町・宿場町> 地図
町並度 5 非俗化度 10 −中世には西伯耆の軍事的中心であった−

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尾高の町並 十字に交わる旧街道沿いを中心に伝統的な姿が残る


 米子市の東部にある尾高地区は戦国期に城が立地しており、慶長6(1601)年に米子城が築城されるまで西伯耆の軍事的中心だったところである。
 藩政時代に入ると地理的にも日野川の下流域で東西と南北の街路が交わる位置にもあったため町場が発達していった。上市・前市という字が成立したように市が開かれ商業が栄え、山地で盛んに産出された鉄をはじめ、木綿、木炭などが取引され、また牛馬市も開かれた。根雨村(現日野郡日野町)の山林大地主・近藤家をはじめとする大商人の出店も許可されていた。
 西伯耆の代表的な在郷商業町として商家が集積し、さまざまな商品をもとめて庶民が集うていたのだろう。その雰囲気が若干は感じられる町並が残っていた。平入妻入が混在する家並で、妻入のものは入母屋風の屋根を持つものもあった。豪勢な商家だったのかもしれない。屋根瓦も山陰で最も優勢な赤褐色の瓦と次に勢力を持つ艶のある黒い瓦が拮抗している。
 町の中心で南北のやや細い街路と交わり、それに沿っても幾分か伝統的な建物が残る。二つの往還の交差するところというから、ここがその交点だったのだろう。宿駅としても機能していたとされ、特に大山寺の参詣客によって発達したといってもよい。制札場や代官屋敷も置かれていたといわれ、単なる在郷町にとどまらず中世の城下町に起源を発する政治の枢要地でもあり続けた。
 伝統的な建物が連続した個所はそれほど多くはないものの、塀を巡らした厳かな邸宅、土蔵などの景観は広範囲に及んでいて、かつて一大中心地であったことを伝えているようだ。





訪問日:2011.06.19 TOP 町並INDEX