米沢の郷愁風景

山形県米沢市【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −置賜地方の中心都市−





門東町二丁目の町並


 
置賜地方の中心・米沢は城下町として発展したところである。中世には米沢城が築かれ、長井氏ついで伊達氏が一帯を支配していた。南北朝期には既に城郭の周囲に城下町が形成されていたという。
 一方、関ヶ原合戦時に西軍についていた上杉氏は、石高を減らされてここに国替えさせられたが、そのときかつての大量の家臣団はそのまま従えてこの地に移ってきた。そのため石高のわりに大きな城下町が構えられた。大規模な町の造成工事で、ほぼ完成を見たのは関ヶ原から10年以上経過した慶長13年頃といわれる。50もの町が造られ、中でも大町・柳町・東町などの六町とよばれる町々が町方と呼ばれ中心街であった。以後幕末まで、上杉氏による城下町が町の基盤となった。
 盆地の中心ということで周囲の農山村からの物流の要ともなったことから商業も発達し、また19世紀になると藩の政策で織物などの産業が奨励され、問屋が多く建ちならび有力商人も輩出した。
 明治になって国鉄奥羽本線が建設され、域外や中央との物資の移送量が爆発的に増加したことで、近代的な商業都市への歩みを始めるが、大正期になって2度の大火に襲われている。かつての城下町の大半はそれにより焼失している。
 そのため現在市街地に見られる建物はほぼそれ以後に建造されたものである。古い建物で最も目立つのは土蔵で、かつての商家が耐火性を高めようと建てたものなのか。中には母屋に取り込まれたような構造の土蔵も眼にした。
 古い町並として連続した箇所は少なく、多くは新しい建物の並びに点在している形である。しかしそれらは商家らしく見応えのする外観を持ち、また広範囲に及び見られることから町並としての価値は決して低いものではない。
 
 




市街地南部にある本町地区では東光酒造の建物が立派な酒蔵と洋風の建物を従え、町並景観の中心を形成している。その北側の大町から門東町あたりにかけての界隈にも、土蔵や町家風の伝統的な建物が散在している。
 大火に見舞われなければもっと古い町並として素晴らしいものが残っていたのではと思いながらの探索であった。
門東町一丁目の町並(米沢民芸館)




大町一丁目の町並 大町二丁目の町並




本町二丁目の町並(東光酒造)

訪問日:2015.09.21・22 TOP 町並INDEX