米水津の郷愁風景

大分県米水津村【漁村】 地図(宮野浦)地図(浦代浦) <佐伯市>
 町並度 4 非俗化度 10  −佐伯藩領に属した漁村群−


 


 
 
 



 
宮野浦の町並   


 大分県の海岸線は南部ほど入組んだ沈降海岸となっていて、中でもこの米水津はその出入りが最も著しいところに位置している。九州の最東端付近を占め、四国側の御荘付近の半島と対峙しているが、50kmほどの距離がある。北に大きく張り出した鶴見半島と南側の小半島に囲まれた米水津湾沿いに幾つか漁村集落が展開している。
 江戸期には佐伯藩領に属していた米水津浦は、藩内で下浦村と呼ばれ南隣の蒲江浦を含んでいた。米水津浦は5浦から成り、文化7(1810)の記録では285軒、2,325名とある。近海でのイワシ漁業が盛んに行われ、干鰯としての生産が多かった。他に鯵や鰹漁も行われ、平地が乏しく水田がほぼない当地にとっては漁業が唯一の産業と言ってよいものだった。
 また小浦には藩の浦手番所、遠見番所が置かれるなど防衛上も重要な位置を占めていた。
 明治末頃までは米水津地区各浦への陸路がなく、他地域との移動は海路しかなかった。穏やかな湾に沿って展開する集落の中で大きいのは北側の浦代浦と南側の宮野浦で、特に宮野浦が最大で大きな漁港もある。集落内の道は海岸部以外乗用車が進入できない狭い路地ばかりであり、漁村集落らしい展開を見せていた。家々の姿も統一性がなく、海辺の集落らしい板壁を巡らせたもの、漆喰で塗られた壁が目立つものや、一部に下見板貼の一見洋風に見えるものもある。小高い所にある神社から眺めると、一つの集落として完成されたものがあるように感じた。
 浦代浦では比較的土地の余裕があるのか、家々の建て方もゆったりしており、比較的大柄な家が目立つように見えた。商家を思わせる入母屋屋根を持つ旧家も何棟か見られ、宮野浦とは異なった集落の雰囲気が感じられた。
 また中間にある大内浦は小さな集落ながら、石垣に囲まれた独特の外観をした御宅が目立つ。強い海風から防御する目的なのか、一時の流行り的なものだったのか、その実情はわからなかった。
 
 



 
 浦代浦の町並  
 



 
浦代浦の町並  大内浦では石垣に囲われた家屋が見られる   

訪問日:2023.09.23 TOP 町並INDEX