栗笠・烏江の郷愁風景

岐阜県養老町 【河港町・商業町】 地図 
町並度 4 非俗化度 8 −物資輸送に重用された濃州三湊−



栗笠の町並
 ここで紹介する栗笠・烏江地区は、いずれも「濃州三湊」のひとつとして川港が発達したところである。揖斐川の支流・牧田川沿いの港で、中山道の関ヶ原宿からここに九里半街道が通じ、近江や京都、さらに北国街道沿いとのつながりがあった。陸送距離が短く舟運に委ねられることから物資輸送に大いに利用され、桑名港を経て伊勢や尾張、さらに江戸に運ばれる荷も多くあった。下流側の船附とともに三湊と呼ばれていた。いずれも尾張藩に属していた。
 中でも栗笠湊は最も大きく、『濃州徇行記』によると「町長は東西三町ほどあり町の名はなきよし。酒屋・味噌屋・小物屋・紺屋・菓子屋其外小商する家余程みえたり」と記されている。湊問屋が置かれ、船稼ぎに従事する者も8戸あった。享保年間(18世紀前半)頃からは市場が開かれ、商業も栄えていた。
 三湊で最上流にあった烏江湊は杭瀬川との合流点付近に位置し、荷物問屋1・運船21艘があった。両港とも、大垣に船町港ができたことや牧田川への土砂堆積、明治に入ると尾張藩の保護からも外れ、急速に衰退した。
 栗笠の集落は牧田川の堤防上と堤内側の二層構造のように展開している。前者には切妻平入の建物が連続した風景もあり、二階部に木製欄干を持つものもあった。また後者では、敷地の広い邸宅も散見され、豪農宅を思わせる屋敷もあった。背後にある寺に見守られているような集落だった。
 
 




  栗笠の町並 
 

 一方烏江は河川合流点にあたる養老鉄道の駅付近は散在する家々が見られるのみで、少し下流側の支流の小河川にぶつかるあたりに家々の連なりがあった。本来は杭瀬川の堤防に沿っても港町の展開があったように思えたが、現在は栗笠寄りのこの部分に微かに古い町の残影を見るのみになっているようだ。
 ともに川港だったことを示すものは堤防道路沿いに建てられている石碑のみとなっており、港町らしい風情は全く失われていた。




烏江の町並
  

訪問日:2020.07.19 TOP 町並INDEX