筑後吉井の郷愁風景

福岡県吉井町<宿場町・商業町> 地図 <うきは市>
 町並度 6 非俗化度 5  −日田街道沿いの「白壁の町」−


白壁通りと呼ばれる地区。歯医者、肥料商などもここには往時の造りのまま営まれており、町並が生きています。




災除川沿いの景観 南新川の風景。多くの水路が派生しており町並景観に潤いを与えています。




 国道は旧豊後街道で、重々しい造りの商家が軒を連ねています。最盛期は200軒を超えるとも言われた土蔵造りの建物もさすがに今では減っていますがそれでもなかなか見応えがあります。
 

 吉井は白壁土蔵の町として知られる。ここは江戸期より3度の大火に襲われた。そのため住民の防火意識が段階的に高まり、火に強い漆喰塗り込めを多用するようになった。現在見られる町並はそれ以後、明治初期頃のものが多い。関西や中四国などに多い厨子2階虫籠窓ではなく本2階がほとんどであり、妻入りの多い家並は九州の古い町並の典型的な町並景観をなしている。
 町は天領であった日田市を結ぶ豊後街道の宿場町に由来し、江戸後期からは筑後地方東部の地理的、経済的な中心をなし、在郷商業町としても発展した。
 町並は久留米と日田、大分を結ぶ国道210号線の沿線、及びその北側の小路地区に残る。特徴的なのは2車線の国道の両端に重厚な土蔵造りの家並が連なって残ることで、これが旧豊後街道であり、当時よりこのような広い街路であったことを裏付けている。天領に通じる重要な宿場であったからこそであろう。西口では旧街道の形状のまま桝型状に折れ曲る箇所があり、往時のままであることを示している。
 白壁通りと呼ばれる南北の通りは車も少なく落着いた散策ができる。この地区は災除(さいのき)川、南新川の2本の川をはじめ水路も多く、水のある土蔵風景は吉井を代表するものとなっている。この地域では現在でも河童伝説が生きており、川沿いを歩くと河童にまつわる置物、石像などをよく見かける。
 南新川沿いの町並の東端に鏡田屋敷と呼ばれる建物がある。吉井町で唯一の屋敷型の建造物で入母屋造りの母屋、離れ、土蔵に囲まれ庭園があり、屋敷のそばの水路から引き入れた池がある。幕末に建てられかつて郡役所等に使われたこの屋敷は10年ほど前までお年寄りがお住まいだったというが、平成3年の台風被害で無人化し、一時は荒れるに任されていたという。その後吉井町の町並保存活動により所有者が町に寄付され、国補事業で修復工事を行い復元されるに至った。現在は地元のお年寄が親切にガイドをされていた。
 重要伝統的建造物群保存地区ともなっているが観光客に媚びた色はそれほどでもなく、町並としてのバランスは取れている。滞在時間が短く主だったところしか廻れなかったが、再訪する価値のある町並である。

 

訪問日:2002.07.21 TOP 町並INDEX